ディスカバー・ニッケイ

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彼女が早く移行しなかった理由

私が望んでいたほど早くカミングアウトできなかった理由の 1 つは、死刑判決を受けた事件が常に重くのしかかっているため、性転換はできないと感じていたからです。性転換はあまりにも露骨すぎるのです。ゲイであることをカミングアウトして陪審員の前に出て、以前とまったく同じ姿になるのとは違います。性転換するとそうはいきません。だから私はいつもそのことに対して不安を感じていました。あなたもおそらく不安でしょうが、私の時代の LGBT の人々は皆、カミングアウトされて特定され、標的にされることに対して不安を感じていたのだと思います。

自発的か非自発的かに関わらず、カミングアウトしたらそれは起こるべくして起こることだったので、自発的にやったほうがいいでしょう。機会があれば、自分の意志でやったほうがいいでしょう。だから、死刑事件を担当していたことで、私は何年も性転換を諦めていました。たぶん、10年、いや20年早くやっていたでしょう。90年代には、性転換が必要だと思っていた時期がありました。もうこんな生活はできないし、これまで得意としてきた偽善者でいることはできない。


ジェンダー・アイデンティティー 性転換 アイデンティティ 弁護士 (lawyers) LGBTQ+ 人々 トランスジェンダー

日付: 2020年7月14日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: マシュー・サイトウ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association

語り手のプロフィール

ミア・ヤマモトは、三世のトランスジェンダー弁護士であり、公民権活動家です。彼女は1943年に両親が収容されていたアリゾナ州ポストン強制収容所で生まれました。彼女は陸軍に入隊し、ベトナム戦争に従軍しました。第二次世界大戦中の日系アメリカ人の違憲な収容に反対を訴えた父親の勇気に感化され、彼女はカリフォルニア大学ロサンゼルス校の法科大学院に進学し、日系アメリカ人弁護士会での活動など、社会正義の分野でリーダー的存在となっています。 (2021年3月)

*これは、日系アメリカ人弁護士会全米日系人博物館が共催する、日系コミュニティー・インターンシップ(NCI)プログラムのインターンが毎年夏に行う主要プロジェクトのひとつです。

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)

ビンス・オオタ

東海岸とロサンゼルスの違い(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

田中誠一

アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

フランク・ソギ

MISで出会った本土からの日系人(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

エンセン・井上

日本社会への突然の受け入れ(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)