ディスカバー・ニッケイ

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戦後、行き場を失った

ペルー政府は私たちを受け入れませんでした。なぜなら、日本人コミュニティの方がペルー政府よりもうまくやっていたと思うからです。彼らは恥ずかしがっていたのでしょう。よく分かりませんが、父が人生で得たものすべてを政府が奪ったのです。ペルー政府はすべてを奪ったのです。つまり、すべてを奪って「帰れ」と言うのです。両親には同情します。それだけです。


日系ペルー人 ペルー 第二次世界大戦

日付: 2019年9月20日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: トム・イケダ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジョージ・カズハル・ナガヌマは、1938年にペルーのリマで一世の両親のもとに生まれました。第二次世界大戦中、家族は船に乗らざるを得ず、テキサス州クリスタルシティに収容されました。戦争が終わった後も、彼らは行くところもなくそこに留まりました。カリフォルニア州サンフランシスコの牧師の援助により、彼らは脱出することができ、そこで仕事と住居を見つけることができました。ジョージはサンフランシスコでボーイスカウトに参加し、部隊とともに日本を訪問することができました。彼はアメリカ陸軍に入隊し、事務タイピストとして働きました。 (2020年6月)

マリオン・ツタカワ・カネモト

真珠湾攻撃後のFBIによる家宅捜索(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

子供の時にみた父の逮捕(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

先生から聞いた反アメリカプロパガンダ(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

第2次大戦中の日本での苦難(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

藤間勘須磨

戦中は隣人にホテルビジネスを預け収容所へ (英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

フレッド・ササキ

第二次大戦中の排日感情(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

児玉良一

戦時中に取り上げられた運転手としての仕事

笠戸丸移民

アイコ・ヨシナガ・ハージック

政治権力の欠如が収容所の一因(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

シズコ・カドグチ

東へ移住か渡日かの選択(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

囚人のように思えた収容所生活(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

制度化されたシステムの悪影響(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

日系人収容者の取り扱いに対する懸念を表す公文書(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

フランク・ソギ

1941年12月7日の記憶(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

MISで出会った本土からの日系人(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)