ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1698/

映像から写した最初のプリント(英語)

(英語)ロバート・ハイネケンは私の同僚であり、UCLAの学友でもありました。彼は、1980年代にテクノロジーを利用した実験的作品で知られるようになりました。といっても映像ではなく主に写真家としてです。彼は、当時すでにテレビ画面、つまりブラウン管に直接印画紙を乗せる方法を試みていましたが、何度やっても何も起こりませんでした。それで最終的に、暗室で印画紙をテレビに貼り、画像を写し始めました。模索するために使ったのは夜ニュースのキャスターの映像でした。彼は、リスクを承知で富士フィルムと私が共同開発したインクジェットプリンターを使うことを決めました。私たちは、そのプリンターを使ってニュースキャスターの最初のプリントを制作することができました。そのキャスターというのがコニー・チャンでした。そのプリンターで印画したものはUCLAも所有していて、メトロポリタン美術館の所蔵作品になりました。サンフランシスコ近代美術館やシカゴ美術館でも展示されてます。


芸術 グラフィックアート インクジェットプリンタ 写真家 写真術 プリント ロバート・ハイネッケン

日付: 2017年9月15日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジェニファー・クール

提供: ジェニファー・クール、マシュー・ピュリフォイ

語り手のプロフィール

1934年カリフォルニア州ジェファーソンパーク生まれ。1942年に家族と共にポモナ集合センターに勾留され、その後ワイオミング州のハートマウンテン強制収容所で収容される。第二次世界大戦の終わりにニュージャージー州のシーブルック農場が労働者として雇用した収容者の中にはカタオカさんの両親もいた。

ニュージャージーの高校を卒業後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に進学し、1957年に美術教育で文学士を取得し、1959年にはコミュニケーションデザインで修士号を取得する。1957年から1965年まで戦車将校として陸軍予備軍に所属する。1966年、UCLAの美術、美術史、デザイン学部の教員となる。1970年代前半、米国初の市内全域で利用可能な分散型の双方向ケーブルテレビ放送システムを開発する。

カタオカさんはデジタル印刷の美術界への導入に貢献し、高品質のインクジェット技術が普及する前から美術館品質の解像度と収蔵可能なインクや用紙を用いたコンピュータとプリンターのシステムを思い描いていた。

カタオカさんは2018年5月死去。(2019年7月)

ケイ・セキマチ

子供の頃に織物をしていた母(英語)

アーティスト(1926年生)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

芸術のおかげで、学校での居心地の良さが増した

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

軍隊で壁画や標識を描く

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

イワオ・タカモト

キャンプでアートスキルを養う

ウォルト・ディズニーとハンナ・バーベラの日本人アニメーター(1925-2007)

ベン・サコグチ

親の違い

(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家

ベン・サコグチ

アートを始める

(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家

ベン・サコグチ

「やりたいことをやった」

(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家