ディスカバー・ニッケイ

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ボーディングハウスでの荒れた生活

ボーディングハウス(下宿屋)っていうのがあるんですよ。安くてね。そこにはガーデナー(庭師)のヘルパーとかそういうのが泊まってて。そして夜帰ってくると、某大学のあれがしめていて、インチキの賭博とかなんかやれって言われてね。結局弱い人は歌うたえって言われて。歌わないと灰皿が飛んで来たり。そういうね、アメリカにこんなのあるのって、ボーディングハウスでありましたね。ちっちゃな1畳半くらいの部屋で。朝食とランチのお弁当が出て、多分100ドル、80ドルくらいかな。そういうのに僕2カ月くらいいたけど。ちょっとここには耐えられないなと思って出ましたけどね。

誰かが、結局中で喧嘩するとイミグレーション(移民局)にたれ込むんですよね。ああいうの、なんか、日本人だけかな。イミグレーションも今ほどラティーノのあれがないので暇だからくるんですよね。そうするとボーディングハウスに旗かなんかのサインしといてくれて。そこで行かないで、それ降りるの待ってて、降りたら誰かが捕まったよって。持ってかれたって。結局誰かがたれこんで。日本帰る前に。そういう時代でしたね。


農業 庭師 ガーデニング 世代 移民 移住 (immigration) 一世 日本 移住 (migration) 戦後 新一世 アメリカ合衆国 第二次世界大戦

日付: 2015年8月4日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 渡辺 美津重

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1969年にアメリカへ初めて入国。1年半、ロサンゼルスで生活した後、半年ほど世界各地を訪問し、日本へ帰国するが、海外の生活に感銘を受け、その後再びアメリカへ戻ることを決意し、観光ビザでアメリカへ渡米。渡米当初は、庭師のヘルパーなどを2年ほどしていたが、その後独立し、正規のビザを取り、飲食業を始める。現在は、カリフォルニア州オレンジ郡とロサンゼルスを中心に居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」を経営している。(2018年8月)

ミツエ・ヤマダ

写真花嫁の集団と一緒にアメリカに渡った母(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

ミツエ・ヤマダ

日本から到着した母のためにアメリカの洋服を買った父(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)