ディスカバー・ニッケイ

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デカセギに来ていた父に呼び寄せられ日本へ移住

ぼくが来たのは、1989年9月か10月頃だったと思います。これは仕事…父親の仕事のために日本に来ました。当時は、デカセギ労働者として日本に来ていました。

まず初めに、ぼくの父親が親戚と一緒に日本に来て、当時は、2、3年で戻るつもりではいたと思います。そんなに日本に長く滞在する予定はなく、ですので、まあ、少ない荷物で、最低限の荷物だけで日本に来て、父親だけデカセギに一度来て、ある程度お金が稼げたらそのまま日本に…あ、またブラジルに戻るつもりでいましたので、家族で初めは、ま、全員は来なかったですね。父親と親戚何人かだけ先に来て、しばらく日本に住んでみたら、ま、すごく日本は住みやすいところなので、みんなで来ちゃいなよ。ていう、誘いもあって、それからぼくと母親と兄弟、その他に親戚も何人か一緒に来ました。


ブラジル デカセギ 外国人労働者 日本 在日日系人

日付: 2016年10月18日

場所: 日本、群馬県

インタビュアー: 小嶋 茂

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1979年1月、サンパウロに生まれる。熊本出身の祖父母を持つ三世で、日系人の多いリベルダージ近くモンチ・ケメル地域で育つ。1989年、デカセギとして来ていた父に呼び寄せられ日本へ移住。以来、群馬県大泉町で暮らす。移住当初は、言葉の壁に悩んでいたが、日本語を学ぶにつれ友達も増え、今では日本語を活かしながらグラフィックデザイナーとしてブラジル人コミュニティをサポートしている。2009年に独立し、デザイン事務所経営。大泉町を紹介するフリーペーパーを発行。大泉町をブラジルタウンにする夢をもち尽力中。(2017年8月)

レイコ・T・サカタ

親の結婚

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。