(英語)広島に行きました。両親には米国に帰国する前に行くつもりだと伝えてあったので、それぞれの親戚の住所を送ってくれていました。広島に到着しました。広島に入る前から、町はただの平地になっていました。電車を降りましたが、駅はありませんでした。何もありませんでした。電車が止まる場所があるだけでした。それが広島駅でした。
私が行った時、広島はオーストラリア部隊の管轄でした。「降りて歩いて回りたければどうぞ。暗くなったら我々は探しに来ないから君一人になる」と言われました。電車を降りてすぐの場所に、建てられたばかりの木材の店がありました。話をしようと思って「ハロー」と言って店の中に入ると、予想に反して完璧な英語で返事が返ってきました。その女性は、「ツールレイクにいて、日本に帰ってきた」と言いました。何か探しているのかと聞かれたので、両親の親戚を探していることを伝えました。すると、「そこを曲がった先の建物に行くといい。警察がいるから」と言われました。電話ボックスのような小屋に警官がいました。住所を見せると、「そういう場所はもうここには存在しない」と言われました。それだけでした。私は広島を去りました。
この話には実は続きがあります。その後1ヵ月も経たないうちにオフィスのビルの受付から「ジミー、あなたを探している人が来ている」と言われました。「分かった。オフィスに通して」と言うと男性が入って来ました。普段着姿の男性は、「私はフクハラ・トクタロウだ」と言いました。驚くべきことに、彼は私が広島で探していた人でした!
日付: 2015年2月6日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター