ディスカバー・ニッケイ

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アジア系に対するステレオタイプ(英語)

(英語)とりわけ日系人や日本人に対するステレオタイプは、私たち日系人の人格形成に強い影響を与えてきたと思います。ステレオタイプは現在の私たちの在り方に影響を及ぼし、そしてそれは未来の在り方にも影響するでしょう。

アジア人が米国への移住を開始した時代、彼らは初めから差別されていました。アジアからの移民は帰化が認められないため、この国では法的に外国人にされていました。外国人土地法が可決し、アジア系住民を指す「市民権取得資格のない外国人」の土地の所有は禁止されました。しかし、直接的にアジア系という言葉が使われることはありませんでした。

このような法律や政府の態度の根底には、アジア系に対するステレオタイプがあります。ステレオタイプは当時の演劇や新聞の風刺漫画で強調され、社会やメディアの発展と共に映画や歌、演劇の中でも描かれました。強制収容が始まり、西海岸からジャップを締め出そうというヒステリーを後押ししたのもステレオタイプでした。戦時中は、中国系が日系の役割を、ステレオタイプを演じました。アジア系の人たちが自分の顔を貸し出し、ステレオタイプの維持に貢献しました。白人に作り上げられたステレオタイプには、私たちの人間性に対する理解は皆無でした。そこにあるのは、時の政治が色濃く反映された幻想のみでした。私たちは自分たちの顔を、その幻想のために貸し出していました。

しかし、物事は変化しつつあります。今はアジア系アメリカ人の映画監督がいます。作家がいます。プロデューサー、ディレクター、アジア系アメリカ人の俳優がいます。私たちの視点で、声で、顔で、私たち自身の物語を伝えています。その顔は、実体験に根差しています。これは驚異的な進化です。今ではアジア系の家族を描いたテレビドラマもあります。まだ見ていませんが、『Fresh Off the Boat*』が楽しみです。友人たちも何人か出ているんですよ。私たちは着実に前進しています。今後私たちに必要なのは、私が思うにアジア系アメリカ人の「ドル箱スター」です。そんなスターがいれば、私たちの視点と言葉で長編映画を作ることができるでしょう。

*2015年に放送が開始した台湾系アメリカ人一家を描いたシチュエーション・コメディ


差別 対人関係 メディア ステレオタイプ

日付: 2015年2月3日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ、ジャニス・タナカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジョージ・ホサト・タケイ氏は、日系一世の父、タケクマ・ノーマン・タケイと二世の母、フミコ・エミリー・ナカムラのもと、1937年にロサンゼルスで生まれました。日本による真珠湾攻撃直後、彼がまだ5歳だった頃、タケイ家は12万の日系アメリカ人と共に米国政府から一斉に検挙され、強制収容所に収容されました。

タケイ氏は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で演劇を学び、学士号と修士号を取得し、舞台、テレビ、映画俳優として順調なスタートを切りました。1966年には当時画期的だったテレビドラマ、『スタートレック(宇宙大戦争)』でヒカル・スールー(訳注:日本語吹き替え版ではヒカル・カトウ)大尉役に配役されました。

俳優としてのキャリアに加え、タケイ氏は、社会奉仕活動やコミュニティボランティア活動に積極的に参加しています。南カリフォルニア高速輸送地区(Southern California Rapid Transit District)の評議委員を務め、全米日系人博物館の立ち上げの際には創設より深く関わり、運営委員として精力的に活動し、惜しみない貢献を続けています。

タケイ氏は2005年に同性愛者としてカミングアウトし、LGBT1権利の提唱者として影響力を持ち、自身の体験を広く人々に語り、有名人が同性愛者に対し差別的な発言をした時はその責任を追及し、ヒューマン・ライツ・キャンペーン2のスポークスパーソンも務めています。ジョージのフェイスブックの思わず笑いがこみあげてくるユーモアや温かさは彼の人気に再び火をつけ、フェイスブックのフォロワー数を800万人に伸ばしました。

(2015年5月更新)

 

注1. LGBTとは、レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(心と体の性の不一致)の頭文字をとった総称で、性的少数者を指す言葉。

注2. LGBTの社会的平等化を推進するアメリカの人権団体

アルフレド・カトウ

戦後リマでの体験談(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

アルフレド・カトウ

日本人に対するステレオタイプ: 昔と今(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

ジョージ・カツミ・ユザワ

JACLの全米書記マイク・マサオカの1942年のスピーチへの反応(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ジョージ・カツミ・ユザワ

戦中のニューヨーク市での最初の印象(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ジョージ・カツミ・ユザワ

真珠湾攻撃後の近所の同情(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

飯野正子

日本人移民に興味を持ったきっかけ

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

PJ・ヒラバヤシ

子供のころ体験した差別(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

オーシャンパークでの唯一の日系人家族(英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

映画制作で行った小細工(英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

終わることを知らない人種差別 (英語)

作家(1934年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

藤間勘須磨

日本ではアメリカ人として、アメリカでは日本人として踊る (英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

政治権力の欠如が収容所の一因(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

囚人のように思えた収容所生活(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

ニューヨーク市の日本人に対する戦争ヒステリア(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)