https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1392/
連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)
(英語)法律事務所に勤めているとき、新たな案件がクライアントからきました。そのクライアントは、事務所のもう一人の弁護士と長い付き合いがある人でした。仲間のジョン・オースティンは、本当に素晴らしい弁護士でした。ジョンは私に「この案件をやってもらえないか?君ならできると思う」と言い、「いいよ」と答えました。
そして私はクライアントに会い、途中で、クライアントはジョンに会うために立ち止まりました。ジョンが私の元にやってきて、クライアントが私が弁護士では嫌だと言っている、と言いました。なぜだかわかりませんでした。彼は言いませんでしたが、クライアントは私に会っただけなので、おそらく私が日本人だからだろうと思います。立派なことに、ジョンは「彼がこの案件を担当すべき人なので、彼が好ましくないというのであれば、この案件はお受けできません」と言って、断ったのです。
とにかく、こういったことが起こる時代でした。今日では大分少なくなったと思います。
日付: 2014年7月2日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 加藤 さくら
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association
カリフォルニア州サンタマリアで生まれる。アツシ・ウォーレス・タシマ判事は、日系アメリカ人としては始めて、アジア系アメリカ人としては3人目の連邦控訴裁判官となった。タシマ氏は移民の一世のもとに生まれ、幼少期の3年間をアリゾナ州ポストンにある強制収容所で過ごす。タシマ氏が1958年にハーバード大学法科大学院に入学したとき、ハーバードにいたアジア系アメリカ人は4名だけであった。その後も、タシマ氏は連邦判事として34年の長い経歴をリードし続けてきた。1980年、カーター大統領によってカリフォルニアの中心地区連邦地方裁判所判事に任命。合衆国連邦地方裁判所に15年務めた後、クリントン大統領がタシマ氏を、ウエストコーストの九つの州を管轄する第九巡回区連邦控訴裁判所に昇進させた。2004年、タシマ氏はシニアの地位となり、現在カリフォルニア州パサデナにある第9巡回パサデナ裁判所にて判事を務めている。(2014年8月)
家族に恥をかかせないように (英語)
(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者
中東での過去と現在の関係 (英語)
兵士たちを手助け (英語)
日本人移民の衣服専門家・研究者
沖縄出身者への差別 (英語)
白人と同じ権利を求めて(英語)
公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)
立ち退き命令を知らないカリフォルニア人(英語)
病院に入った戦時捕虜としての父(英語)
収容所のポジティブな側面(英語)
一世と二世の一斉検挙(英語)
真珠湾攻撃後のカリフォルニア州オーシャンサイドでの日系アメリカ人学生としての経験(英語)
アーティスト・劇作家。(1924 - 2018年)
両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)
沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)
アメリカへ帰国後の帰米の扱い(英語)
カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)
市民権を取り戻す(英語)
ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)
忠誠心の質問への返答(英語)
収容所を出た後、シカゴでアパートを見つけることの難しさ(英語)