ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1146/

日本人と思わされる環境

やっぱり、そうしますとやはり自分が日本人であるっていうことを、外国にいれば、例えば、食事一つにとってもですね、やはり、あの何年たっても、日本食がおいしいわけですし。ま、その本を読んでも日本語の本のほうが、簡単に読めるわけですし。ま、日本人。そうすると、やはり日本人として、やっぱりその国に長く住んでる時に、何かあったら日本人として見られるわけですから、だから、悪いことすれば、日本人がこういうことしたと言われるし、いいことすれば、日本人がこういいことしたということになるわけですから。 やはり、意識・無意識のうちに、自分がそういう日本をある意味でその代表してるというか、えーして、その外国で生活する時には、生きなきゃいけないということが、こう自覚されていくんですよね。ですから、自分が強く思う思わないにかかわらず、思わされてしまう環境っていうのは、僕の場合には、周りにたくさんありますね。


世代 アイデンティティ 移民 移住 (immigration) 一世 日本 移住 (migration)

日付: 2007年5月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1948年生まれ。東京出身。早稲田大学教育学部卒業。数年後、ペルーリマ市へ移住。スペイン語を学ぶかたわら、天野博物館を創設・経営していた祖父の天野芳太郎氏の仕事を手伝う。その後、日系ペルー人2世と結婚。現在は、ペルーの文化研究家、土器・織物の収集・研究家、天野博物館の事務局長として発掘作業、博物館の運営に携わる。また、ペルーの民間外交官として、政府要人、経済人、マスコミ取材、TV番組制作などのアテンドも行っている。年に数回は日本を訪れ、全国各地で講演やパネルディスカッションを行うなど、広い分野において活動を行っている。(2007年5月)

フランセス・ミドリ・タシロ・カジ

医師免許取得のためトリリンガルになった父 (英語)

一世医師の娘(1928-2016年)

フランセス・ミドリ・タシロ・カジ

父の裁判を知る (英語)

一世医師の娘(1928-2016年)

マーガレット・クロイワ

ビーチとアメリカ(英語)

一世医師の娘

上杉 武夫

米国への見方を変えてくれたアメリカ人(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

パウロ・イサム・ヒラノ

アイデンティティの変化

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

パウロ・イサム・ヒラノ

ニッケイという言葉について

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

パウロ・イサム・ヒラノ

娘のアイデンティティ

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

パウロ・イサム・ヒラノ

日本人へ帰化することについて

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

パウロ・イサム・ヒラノ

ブラジル出身であることを明確に

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

パウロ・イサム・ヒラノ

大泉町がふるさと

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

二宮 正人

日系人とは?

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)