ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1053/

謝罪の必要性(スペイン語)

(スペイン語)今、謝罪が流行っているようですので、ペルーではここ数世紀前からの出来事に対して謝罪すべきであり、その中に日本人移民の日系社会に対してもそうだと思います。 これまでの苦難はあまりにも不公平で悲惨で許しがたいと思います。もし、日本がアメリカに攻撃した時のパーハーバーが不名誉なことであるのならば、ペルーでの日本人移民の歴史は理不尽で屈辱なことがたくさんあります。以前、このディスカバー・ニッケイのサイトでも書いたのですが、資産の押収または強制収容所へ送還されたことだけではなく、ある日突然祖国も、それまでの功績もすべてを失ったのです。あまりにも残酷です。一人の人間にとって精神的な支えになるものをすべて失ったのですが、それを奪う権利なんで誰にもありません。こうした行為に対してペルーは謝罪すべきだと思います。アメリカでは、自国の日系社会に対して謝罪と賠償を行なっています。なぜ、ペルー国家はやらないのか。まあ、期待過剰かも知れませんね。もし、そのようなことが起これば多くの人が行列をつくって謝罪と賠償を求めるでしょう。それも整理券をもって(長蛇の列になるという意味で)。当然先にアマゾンの先住民たちがいて、その後に黒人たちが、そして中国人が、女性が、そして最後に日系人が、というようになるのかも知れません。


差別 投獄 監禁 対人関係 ペルー 人種差別 補償 第二次世界大戦

日付: 2008年2月26日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: ハルミ・ナコ

提供: ペルー日系人協会 (APJ)

語り手のプロフィール

ドリス・モロミサト・ミアサト氏は、1962年ペルー、リマの農村部であるチャンバラで生まれました。法学と政治学の学位を取得し、国立サンマルコス大学を卒業しました。

ミアサト氏は、詩集、『Morada donde la luna perdió su palidez』(1988年)、『Chambala era un camino』(1999年)、『Diario de la mujer es ponja』(2004年)、『Paisaje Terrestre』(2007年)を出版し、2006年には、書籍、『沖縄 : ペルーにての1世紀』を出版しました。ミアサト氏の詩やショート・ストーリー、エッセイ、記事は、様々な選集に収められており、多言語に翻訳されています。

ミアサト氏は、自らをエコロジスト、フェミニスト、仏教徒であると語ります。2006年、沖縄県は、ミアサト氏を親善大使に任命しました。最近では、ディスカバー・ニッケイ・ウェブサイトのコラムニストも務め、2005年からは、「Cámara Peruana del Libro」の文化担当としてブックフェアを開催してきました。(2008年2月26日)

ユリ・コチヤマ

病院に入った戦時捕虜としての父(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

愛国心 VS. 忠誠心(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

PJ・ヒラバヤシ

子供のころ体験した差別(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

ユリ・コチヤマ

隠蔽されたキャンプでの出来事(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

仕事熱心な一世(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

収容所のポジティブな側面(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

一世と二世の一斉検挙(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

グレース・ウエハラ

収容所の補償運動の達成と教育(英語)

(1919 - 2014年)日系アメリカ人の強制収容所に対する補償運動や公民権運動で活躍した活動家。

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

収容所での最初の印象 (英語)

作家(1934年生)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

甥との対話から生まれた小説 (英語)

作家(1934年生)

ロイ・H・マツモト

アメリカへ帰国後の帰米の扱い(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ジョージ・アベ

出生地のもつ意義に気づいて (英語)

太鼓・尺八奏者(1944生)

ロイ・H・マツモト

アーカンソー州にあるジェローム転住センターへ汽車による移動(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ペギー・ニシムラ・ベイン

市民権を取り戻す(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)