その1を読む>>
多様な登場人物と効果的なジャズ
そんなとき、長い間閉鎖されていたパナマホテルの変化に出合う。オーナーが代わり長年保管され忘れられていた日系人の家族の荷物が発見されたのだ。そこにはケイコにつながる2人の思い出のものがあるかもしれなかった。
それは見つかった。過去が蘇り、いまの自分との距離を徐々に埋めていき、最後は過去をいまのなかに生かしていく。
物語は、「戦時中の日系人が置かれた状況」という重たい背景もあるが、一方で公私ともに第一線を離れ少し虚ろな中高年が、過去を振り返るという普通のノスタルジーが全編に漂う。久しぶりの同窓会で、思い出のだれかと出会い、昔の自分と向き合ったとき、そこには一抹の感傷がある。そういうメランコリックな要素もこの作品は十分備えている。
また、登場人物として、ちょっと荒っぽいがなにげなく2人を助ける、学校のカフェテリアで働く白人女性のミセス・ビーティ、ヘンリーが心を許す黒人のジャズサックス奏者のシェルドンもいい“味付け”になっている。
さらに、ジャズという、日本や中国と直接関わりがなく、また白人のものとは言えない音楽がアクセントになっているところがいい。登場人物も多様なら、こうした構成と配慮も物語に幅を持たせている。
知識や情報では得られない、物語の持つ力が・・・
作者のジェイミー・フォードは、曾祖父が中国からアメリカに移住した中国系のアメリカ人で、12歳まではオレゴン州で育った。そのときの親しい友人が日系人で、その父親が有名な日系アメリカ人の詩人、ローソン・フサオ・イナダだった。彼は収容所体験があり、フォードの最初の原稿に目を通してくれたという。
この学校のなかで彼は唯一の中国系で、親友が日系人だったという点では、小説のなかのヘンリーは作者自身と一部重なるところがある。
アメリカの世論の中には戦時中の日系人の隔離政策は必要だったという意見もあるが、こうした政治的な部分や社会問題には作者としては踏み込まず、ラブストーリーであり家族の物語として書いた。もちろん戦争を軸とした歴史的な背景があってこその物語である。
しかし、逆に言えば、個人の物語を描き内面を探ることによって、反射的に対立や差別の空しさを知り、乗り越える力を暗に示してくれる。
日本版での翻訳にあたった鳴門教育大学の前田一平教授はこう語る。
「この作品を通して、民族や国家を超えて、人々が理解し合ったり、助け合うことの意味を感じる。知識や情報だけでなく、物語を読むことによって理解すること、言うならば“物語の力”です」
国家間、民族間の対立や紛争が引き起こす問題について、物語だからこそ描き、追究できるものがあるのだろう。
ハリウッドは「主人公を白人に置き換えるなら映画化に」
ところで、国家間や民族間の事情によって苦悩する男女・家族関係やアイデンティティの問題を扱った小説はいくつもある。太平洋戦争中のアメリカを舞台にした同種の物語では、比較的新しい作品としては「ヒマラヤ杉に降る雪」(Snow Falling on Cedars)が思い出される。
デイヴィッド・グターソン(David Guterson)が書いたこの小説は、戦争によって引き裂かれた日系人女性と白人男性の悲恋と、差別・偏見を超える力を、史実をベースに殺人事件をからめてミステリアスに描く。日本でも『殺人容疑』の訳題で出版された。
1995年のペン/フォークナー賞を受賞したこの小説は、アメリカで400万部以上を売り、のちに映画化された。ヒロインの日系人女性を工藤夕貴が演じている。
ベストセラーになった「あの日、パナマホテルで」も、ハリウッド映画業界から映画化の話があった。しかしその際、主人公の1人を原作とは異なり白人にするという意見が出た。いかにもより一般受けを狙うハリウッドらしい発想だが、これに対して作者のフォードは、小説の世界が壊されるとして反対したという。
最後に、この小説で思い出の象徴として扱われたパナマホテル(Panama Hotel)について触れたい。
いまも、シアトルのインターナショナル・ディストリクトと呼ばれる旧日本人町の一角にそのホテルはある。
1910年に日本人建築家によって建てられ、多くの日本からの移民たちを受け入れてきた。
そして戦争が始まり、日系人が収容所へ入るためほとんどの財産を手放さなければならなくなったとき、このホテルにいくつかの荷物が預けられた。
1950年、引き取り手のない荷物はそのままにホテルは閉まったが、86年にシアトル在住のアーティストで、ジャン・ジョンソンというスカンジナビア系の白人女性がこれを買い取り、日系移民の文化を歴史的な遺産と考えてホテルを再開した。
ホテルの1階はアジアンテイストのカフェになっていて、同時に当時の日本町の様子を表す写真や日系移民にまつわるさまざまなものを展示している。
時代を感じさせる落ち着いたこのカフェを私も何度か訪れ、一度は興味本位で宿泊したこともある。この夏立ち寄ったときは、日系2世の著名な芸術家、ロジャー・シモムラが独りテーブルについていた。ジェイミー・フォードがこのホテルに想像力を喚起され、物語を膨らませたのがよく分かる。
(敬称略)
* 本稿は、JB Press (Japan Business Press - 日本ビジネスプレス)(2012年10月30日掲載)からの転載です。
© 2012 Ryusuke Kawai, JB Press