その1>>
台湾系日本人として
台湾にルーツをもつ日本人であるわたしは、良くも悪くも、単一民族という考え方が浸透している日本の社会においては、異質な存在です。
当時は、わたしの周囲において、エスニシティの多様性にたいして寛容の態度がとれる人は、皆無でした。わたし自身、みずからの異質性を常に警戒しなければなりませんでした。出来るだけそのような異質性を表に出さないための最善の努力が、常に要求されていたのです。小学生や中学生、さらに高校生にとっては、エスニシティのことも含めて、異質であるということは、イジメの対象でもあったのです。
そのような事情があったものですから、わたしは自然と、他者にたいする思いやりの精神を育むことができました。また、そのような事情があったからこそ、不思議な印象のあったタカキさんのことを忘れずにいることが出来たのだと、わたしは考えています。
日本で高校を卒業してから加州オレンジ郡のコミュニティ・カレッジに留学し、さらにはフラトンのカリフォルニア州立大学に編入して、ハンセン先生、イハラ先生、フジタ・ロニィ先生などの指導を受けて、わたしは日系人に関することを、たくさん学ぶことが出来ました。そして、永松先生のおかげで自分自身の研究を持つことが出来るようにもなりました。
わたし自身は、<日系人によって創られた>といっても、過言ではないのです。
ネットがもたらした奇跡
そして、この7年間に、さまざまな体験をしました。マンザナーへの実習、オレンジ郡でのオーラル・ヒストリー、MIS(米陸軍情報部員)として活躍した人々のオーラル・ヒストリー、そして、JAリビングレガシー(おもいでプロジェクト)の代表をつとめたり、鶴嶺湖(ツーリ・レーク)への巡礼の旅に参加したり、あるいは、FさんやHさんと交流したり、さまざまなことをやってきました。そのような状況のなかで、ほぼ忘れかけていたタカキさんの存在が気になりだしたのです。
もしかしたら、彼女はわたしのこと、いや、それ以前に日本で英語を教えていたことについて、多くを憶えていないのかもしれない、あるいは、その体験は彼女自身にとって、あまり重要なものではないのかもしれない。そのようなことを考えてしまって、わたしは不安になりました。わたしは何らかの不安を感じると、それが何日も続いてしまうのですが、インターネットによって、その不安が驚きと感動に変わったのです。
数日前、わたしはフェイス・ブックを使って、彼女の名前を調べてみました。すると、わたしは彼女の名前を見つけたのです。そこには、ニコニコした黒髪の女性の写真がありました。わたしはすぐさま、彼女にメッセージを送りました。すると、彼女からすぐに返事がきました。彼女は結婚していて、3児の母親となっていました。そして現在も南加に住んでいることもわかりました。
彼女にとって、日本で英語を教えていたことは、彼女自身にとって有意義な思い出で、今でも、そのときに出会った人々と連絡をとりあっているとのことです。それを知ったとき、わたしは安堵を感じました。「ああ、良かったよ。こうやって、日本とのつながり維持してくださる日系人がいるなんて、ラッキーだよ」と。それと同時に、彼女は、わたしがどんな人物なのかを知りたいとのメッセージも残してくださったのです。とてつもない長い返信になってしまいましたが、わたしはこれまでの、自分の足跡を彼女に細かく伝えました。
タカキさんの問いかけ
それから数日後、彼女からのメッセージが届きました。どうやら、彼女にとって、日本で出会ったひとりの中学生が、アメリカに留学をして、日系史の勉強をしていたということは、意外なことでした。また、わたし自身が日系史を勉強していること、マンザナーへの実習をしていたことなどから、彼女自身の経歴についても、メッセージを書いてくださったのです。彼女は英語の補助教員という面だけではなく、日系人の戦時収容補償の実現を目指して運動した、NCRR(戦時収容補償・賠償連合)のメンバーとして活躍したという経歴もあったのです。なぜ、そのようなことを日本の中学生に話さなかったのでしょうか?それは、わたしにとっては、ひとつの謎です。日本の中学生には日系史を理解するための素地がなかった、ということだったのでしょうか。そうであれば、それは大変残念なことで、日本の歴史教育における課題であると、わたしは考えます。
また彼女は、わたしが彼女に出会ったことが、日系史の勉強をするようになったきっかけのひとつですか、という質問をされました。その質問への答えを探すべく、この文章を書いたのですが、いまのところ、これといった答えが見つかりません。わたし自身にとって、彼女と出会えたことは、わたし自身の将来を決めるうえで重要な出来事であったと理解しているのですが、それが日系史の勉強をするようになったことと、どのようにかかわっているのでしょうか?その答えが見つかったたとき、わたしはもうひとつ、日系史にかんする新しいことを学ぶのだと考えています。
© 2011 Takamichi Go