ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/718/

日本人への見方が日系人へも影響 (スペイン語)

(スペイン語) 日系人として、チリ社会に職業上、貢献するのは大切なことのひとつだと思います。もちろん、日系人としては、日本の文化の良い影響も、ある程度保っていると思います。世代が進むにつれて、そういうのはだんだんと弱まっているとはいえ、責任感や、物事をきちんとやろうとする姿勢などは常にあると思います。この点からすると、私たちチリの場合では、日系人の位置付けは上手くかみ合っているようですね。また、恐らく習慣的なものでしょうか、一般的に、チリの人たちは、実際の私たちよりも日本人らしいと思うんです。それで、良しとされる性質の多くは日本人のものだろうと思われることが多く、常にそういうわけではありませんが、非常に責任感があり、働き者だと思われているので、そういう意味で、日系人に対して尊敬の念を持ってくれるのです。まあ、一般的には、チリ人と日系人の間にはこういう関係があると思います。


チリ 文化 ハワイ アイデンティティ 日系アメリカ人 日系 アメリカ合衆国

日付: 2005年10月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ロベルト・ヒロセ氏は1950年8月8日チリのキジョータで生まれました。子供時代を農村で過ごし、チリに定住していた何人もの日本人と知り合いました。小学校から高校までキジョータやコピアポで勉強しました。コピアポでは鉱山採掘の仕事で一時的にチリに来ていた日本人たちと知り合う機会がありました。 1968年から1973年までサンティアゴにあるチリ大学で電気工学を学びました。そして日本の文部省の奨学金を得て6ヶ月間大阪外国語大学で日本語を学んだ後、1年間広島大学で研究生として電気工学を勉強しました。 チリ三井株式会社機械部で10年間働き、1986年に漁業用浮き輪製造会社である「インドゥストリアス・ビニコン」へ転職し現在に至っています。2002年にビニコンの多角化を指揮する責任者となり、チリ北部のカルデラでアワビの養殖センターを統括しています。 チリの日系人活動において、彼は1968年から1986年までチリ日系日本慈善協会(Sociedad Japonesa de Beneficencia)、そして1987年から現在までバルパライソ地域日系人組合(la Corporación Nikkei de la Región de Valparaíso)(前バルパライソ日系人連合: Agrupación Nikkei de Valparaíso)に積極的に関与しています。(2007年5月2日)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

典型的な一世だった父(英語)

作家(1934年生)

ロイ・H・マツモト

日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・ヒラバヤシ

家族で日本の伝統的お正月をお祝い(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

アート・シバヤマ

ペルーでの子供時代(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)