ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/255/

インタビュー

スティーブ・カジ

ハワイ生まれの在日日系人。YMCAの英語教師。

FOB - 新参者 (英語)

(英語) 僕たちはハワイの高校に行ってたので、日本から来た日本人をよく見たんです。服装や動作だけで日本人だとすぐに分かるんですよ。ハワイには「FOB – Fresh off the boat(土地に馴染んでいない人・新参者)」という用語があって、仲間同士で日本から着たばかりの人たちをからかっていました。僕は日本へ来るなんて夢にも思ってませんでしたけど。

今は、僕がハワイに帰ると、みんなに「お前はFOBだ。」なんて言われますよ。でも、僕たちがここ日本で築きあげた人間関係はアメリカ人との関係と何ら変わりはないんだということがわかってきました。違う言葉を話し、異なった文化を持っていても、日本人もアメリカ人と同じように、結婚や子どもや仕事のことで悩んだり、苦しんだりしてるんですよね。


Finding Home(映画) FOB – Fresh off the boat(土地に馴染んでいない人・新参者)(スラング) アイデンティティ 移住 (migration)

日付: 2003年11月4日

場所: 日本、兵庫県

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

48歳のスティーブ・カジ氏はハワイ州ホノルル生まれで、現在は神戸に住んでいます。スティーブは3世/4世です。子供の頃は日本食を中心とした食生活を送っていましたが、一家はキリスト教徒だったせいか、あまり日本の伝統・慣習に触れる機会はありませんでした。

1992年スティーブは妻のパムとハワイ生まれの3人の子どもと一緒に神戸に移住しました。スティーブと妻のパムはもともと宣教師として日本にやってきたのですが、3年でその仕事をやめ、現在スティーブはYMCAで英語の教師を務めています。カジ夫婦は将来的にはハワイに住んでいる家族の面倒をみなくてはいけないので、いずれはハワイへ戻る予定だそうですが、ハワイへ帰ることになれば日本での生活を続けたいと思うだろうと述べています。(2003年11月4日)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

10代のサトウキビ畑で働いた経験が、スポーツ選手としてのトレーニングに役立つ

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

ロイ・H・マツモト

ニックネーム(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

上杉 武夫

米国で最初に訪れた庭園(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

本郷悦男

渡米の理由

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

ピーター・ミズキ

剣道の修行のために訪れた日本 (英語)

在日三世・剣道家

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

モニカ・小木曽

アルゼンチンへ移住してきた家族背景(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

米国国籍を持つ日本人の妻 (英語)

在日三世・剣道家

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)