ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1493/

米国で最初に訪れた庭園(英語)

(英語)私が(米国で)初めて見た日本庭園はベイエリアのゴールデン・ゲート・パークの庭園でした。それを見た時、私は何と言うか、「人の手が入り過ぎている」と思いました。ご存じの通り、庭園ごとにスタイルが違うのは当然です。でも、私は自分好みの日本庭園を造りたいと思いました。


市民権 移住 (migration)

日付: 2016年8月10日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ソージン・キム、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1940年3月25日、13代続く大阪の庭師の家に生まれる。1962年大阪府立大学旧農学部を卒業後、京都大学大学院に進学。その後、カリフォルニア大学バークレー校に留学し修士号を取得。1969年に帰国し、京都大学で造園学を教える。1970年大阪で開催された日本万国博覧会の庭園設計に貢献。同年カリフォルニアに戻り、州立ポリテクニック大学ポモナ校の環境デザイン学部ランドスケープ学科で教えるかたわら、公共スペースや企業、個人宅の造園を手がけ、伝統的な日本様式に第二次世界大戦後のカリフォルニアの気候やライフスタイルを融合させた。

主な作品に、カリフォルニア州サンマリノのハンティントン図書館にある日本庭園の修復、トーランス・カルチュラル・アーツ・センターのパイン・ウィンド・ガーデンのデザイン、ロサンゼルスのリトル東京の日系アメリカ人文化コミュニティーセンター内ジェームズ・アーバイン・ガーデンのデザインがある。

上杉教授は、2000年に30年間教員として勤めた州立ポリテクニック大学ポモナ校から退職したが、名誉教授として活発に活動を継続した。2010年、長年の貢献が認められ日本政府から瑞宝中綬章を受章。2016年1月、75歳で永眠。(2016年4月)

 

* このインタビューは、2007年に全米日系人博物館で開催された「Landscaping America: Beyond the Japanese Garden」展のために、学芸員ソージン・キムが行ったものです。

カズオ・フナイ

米国での最初の仕事

一世実業家(1900-2005)

カズオ・フナイ

東京の会社が焼失

一世実業家(1900-2005)

ジェームス・ヒラバヤシ

父方と母方の家族関係 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

スティーブ・カジ

FOB - 新参者 (英語)

ハワイ生まれの在日日系人。YMCAの英語教師。

バーバラ・カワカミ

ハワイへ再移住 (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

バーバラ・カワカミ

写真花嫁と「仮夫婦」 (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

ボブ・キヨシ・オカサキ

渡日に対する決断に祖母の影響(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

竹下幸男

日本の印象(英語)

「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)

ロイ・H・マツモト

広島県の学校にいた帰米のクラスメート達(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ペギー・ニシムラ・ベイン

市民権を取り戻す(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

ペギー・ニシムラ・ベイン

忠誠心の質問への返答(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

本郷悦男

渡米の理由

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

ロジャー・シモムラ

渡米後の祖母の差別体験(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

条約商人としてアメリカへ入国した母(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

ローズ・クツカケ

両親がカナダへ渡航した理由(英語)

第二次大戦中にスロカンに収容。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー (1918-2004)