インタビュー
ディズニーで15年間勤務した後、ハンナ・バーベラへ移籍
その間に、ウォルト・ディズニーが短編番組を断念したのと同じ理由が起こりました。また、同じことがMGMスタジオでも起こり、短編番組を閉鎖しました。彼らはトムとジェリーを制作していたビル・ハンナとジョセフ・バーベラという2人の男を解雇しました。そこで彼らはハンナ・バーベラ・スタジオを設立しました。
その頃、偶然にも『101匹わんちゃん』のような作品の最終段階にいて、 『ソード・アンド・ザ・ストーン』に取りかかっていました。その頃、私は周りを見回すと、ウォルトが2年に1本長編映画を制作したいと言い出していました。そして、私の周りではキャリアのピークを迎えた男たちが、セルアニメーションの技術をディズニーの長編映画のレベルにまで高めた、とてつもなく才能のある集団で、彼らはまさに最高のレベルでした。スタジオ全体がこのような人たちで溢れていました。私は何をしたのだろう?どこに行けばいいのだろう?その一方で、ディズニースタジオで短編映画を制作していた人たちは皆、ハンナ・バーベラ社のビル・ハンナのアニメーショングループに参加していて、彼らから電話がかかってきて、「君のような人材が必要だ、来てくれ」と言われ続けました。私が転職を決意したのは、その頃でした。
呼び出されて「君はメジャーリーグの一員なんだから、マイナーリーグに降格するってわかってるだろ」とか説教されたよ。まあ、そういうものさ、って思ったよ。短編アニメーターのグループを解雇した後、解雇される代わりに誰かが辞職して辞めていくのが気に入らなかったんだろう。彼らは少し厳しくなったんだ。手紙の書き方がほとんどわからない男がいた。彼らは私に正式な辞表を書かせた。でも私は彼らを騙したんだ。秘書と友達になって、彼女が代わりに書いてくれたんだ。
日付: 1998年8月6日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ジャニス・タナカ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター