ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1815/

ウォルト・ディズニーとの交流

エレベーターなどで彼に会うことはあっても、仕事の面で彼に答える必要はまったくありませんでした。彼がまだ働いていて、アニメーションに深く関わっていた頃、私はまだ新人でした。覚えているのは、雇われたときから、彼をミスター・ディズニーと呼ばず、ウォルトと呼ぶようにと、とても厳しい命令を受けていたということだけです。

私は、熱心なチェス プレイヤーだったミルト カールの電話に出る仕事をしていました。彼は昼にチェスをしていて、彼が部屋を離れているときに電話が鳴ると、私が電話を取ります。すると、電話に出たのはウォルトでした。彼は「やあ、勝ったの?」と聞いてくるので、「いいえ、負けました」と答えます。「わかりました。数日後に折り返し電話します」。ディズニー本人と私が関わったのは、だいたいこのくらいでした。


アニメーション (animation)

日付: 1998年8月6日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジャニス・タナカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール
巌高本(1925年4月29日 - 2007年1月8日)は、ウォルト・ディズニーとハンナ・バーベラで活躍した伝説のアニメーターで、60年代後半のスクービー・ドゥーのデザインで最も有名です。高校卒業後にマンザナー刑務所に収監された巌は、ロサンゼルスに戻るとディズニーでの仕事にその芸術的スキルを生かし、シンデレラ眠れる森の美女などの古典的なアニメ映画に携わりました。彼はその後、ウィリー・イトウなど他の日系アメリカ人アニメーターの指導にあたり、わんわん物語で一緒に仕事をしました。1962年にディズニーを離れてハンナ・バーベラに移った後も、巌は引退するまでアニメーション制作を続け、シャーロットのおくりもの(1973年)などの映画の制作と監督を続けました。 (2021年6月)
ウィリー・イトウ

ディズニーのデッサンテスト(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

ウィリー・イトウ

イワオ・タカモト師(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)