インタビュー
アイデンティティ
もうそれに今でもよくそれに、自分でも思い返して、あの時の・・・自分の祖国とか母国とか言いますよね。やっぱりこれはアメリカにいた6年、7年。生まれてから6年7年でしょ。それから先今度は日本へ行って、日本で今度小学校とか中学校での生活。で、その何ですね、その教育なり、それからはたからの環境もありますし、私はそのですね、もうアメリカ人とか、日本人といったって、もうやっぱり、その時は日本人と言う感識(意識?)で、アメリカ人という感識(意識?)はあまりありませんでした。
…二重国籍というんですがね。それは、アメリカの国籍も日本の国籍もってなて。お前はアメリカ人だから、いや、日本人にだからアメリカ人って、そういう、私はそういうね、日本へ着いて日本で生活して、ほんとのことを言うとやっぱり自分ではもう母もそう思ったのでしょうけどもね、アメリカへ帰ってくるという認識がなかったような気もしますね。そして日本人になりきるということの方が、強かったのではないかと思います。
日付: 2008年6月17日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 西村 陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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