オハヨウ・ボンディア
祖父は日本から約100年前に来伯。私はブラジル生まれ。だから、私はブラジルと日本との「架け橋」になりたい。私の心に深く刻まれた「にっぽん」は宝物。ふるさとのブラジルで守りたい。そんな思いを込めて書いたのが、このシリーズです。(Bom Diaはポルトガル語でおはよう)
このシリーズのストーリー
第4回 カーニバルだ!
2011年8月10日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
カーニバルはブラジルの最大の祭り。17世紀にポルトガル人が持ち込んだ異教徒の行事で、最初は庶民の娯楽だった。人々はあちこちの通りでワイワイキャーキャーお互いに小麦粉や水を掛けあって楽しんでいた。 現在、ブラジルは世界的に「カーニバルの国」として有名である。しかし、今のカーニバルは「見せ物ショー」になってしまった。金持ちのEscola de sambaや有名人が金に任せて競争しているようだ。 わたしのカーニバルの思い出というと、子どものころ、母といっしょにサンパウロの街を…
第3回 はじめてのお風呂
2011年8月3日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
十二歳の夏はじめて訪ねたおばあちゃんの家はじめて見た広いコーヒ園はじめて踏んだ赤土はじめて逢ったおじさんたちはじめていっしょに遊んだいとこら そして初めて入ったお風呂先に入ってとおばあちゃん母はベランダでおしゃべり何十年ぶりの里帰り はじめて見たドラムかん中に入ってだいじょうぶ?熱すぎたらどうするの?ねぇおぼれたら...ねぇ... 小さな窓からお月さんあ~ いい気持 お湯から上がってまもなく「きゃあああ ~」家中に悲鳴が 風呂場の前にみんな集まって口をポカァン ドラムかんは…
第1回 顔はルーツを語る
2011年7月20日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
「今度のポルトゲスの先生はジャポネーザだ」 情報は稲妻のように次々に伝わって行った。専門学校の3年の男子生徒たちがずらっと窓から顔を出していた。 その前を通って、3年A組に向かう「新米」の先生はわたし。 どこまでも続くかのような長い廊下。とても緊張していた。はじめての学校勤め、はじめてのクラス。今思い出すと、「ごくろうさん。よくやったね。」と自分に言いたいほどの体験であった。。 数学とか理科だったら、これまで日系人の先生はいたけれど、ポルトガル語を専攻にした日系人は…