ディスカバー・ニッケイ

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『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史


2021年8月18日 - 2024年3月20日

北米報知財団とワシントン大学スザロ図書館による共同プロジェクトで行われた『北米時事』のオンライン・アーカイブから古記事を調査し、戦前のシアトル日系移民コミュニティーの歴史を探る連載。このシリーズの英語版は、『北米報知』とディスカバーニッケイとの共同発行記事になります。

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『北米時事』について 

鹿児島県出身の隈元清を発行人として、1902年9月1日創刊。最盛期にはポートランド、ロサンゼルス、サンフランシスコ、スポケーン、バンクーバー、東京に通信員を持ち、約9千部を日刊発行していた。日米開戦を受けて、当時の発行人だった有馬純雄がFBI検挙され、日系人強制収容が始まった1942年3月14日に廃刊。終戦後、本紙『北米報知』として再生した。



このシリーズのストーリー

第9回(前編) 日本人ホテル業の発展

2022年9月7日 • 新舛 育雄

前回は1917年以降のシアトルの日本人理髪業発展に関する記事について紹介した。今回はシアトル日本人ホテル業の発展について2回に分けてお伝えしたい。 日本人ホテル業発展の歴史 シアトルの日本人ホテル業は、第2回でお伝えしたように1896年に森田万次郎によってはじめられたものが最初だ。1900年以降、シアトルの人口増加に伴って続々と日本人経営のホテルも誕生していった。日本人ホテル業組合議長だった沖山栄繁(えいはん)は、1919年1月1日号の新年特別版で日本人ホテル業発展の歴…

第8回(後編) 日本人理髪業の発展

2022年8月16日 • 新舛 育雄

前回は日本人理髪業発展についての前編として日本人理髪号組合や料金値上げの記事について紹介したが、今回後編として、シアトル総ストライキ、1939年頃に理髪業を目指す二世達の記事などを紹介したい。 シアトル総ストライキ  「日本人関係」(1919年2月4日号) 1919年2月、シアトル造船職工約2万5000人のストライキに同情して、シアトル全域にあった百数十の各労働同盟が総ストライキを決行するという事件があった。その際、日本人社会へどのような影響を及ぼすことになるか、北米…

第8回(前編)日本人理髪業の発展

2022年8月15日 • 新舛 育雄

前回はシアトル発展に多大の貢献をしたシアトル航路についてお伝えした。第8回では1918年以降のシアトルの日本人理髪業発展について、シアトル日本人理髪業組合に関する記事や1939年頃に理髪業を目指す二世達の記事などを2回に分けて取り上げる。 シアトル日本人理髪業 シアトルでは、日本人経営の理髪業が1910年以降に大きく発展した1。1916年にはシアトルには日本人経営の理髪店が76軒あった。一方同年のシアトル市全体の白人経営の理髪店は325軒。白人経営の理髪店からは、日本人…

第7回 シアトル航路の発展

2022年7月15日 • 新舛 育雄

前回はシアトル航路の創設の経緯と1918年頃のシアトル航路と大陸横断鉄道に関する記事について紹介した。今回は1919年以降のシアトル航路の発展の様子についてお伝えしたい。  最短の世界航路 「日米航路と欧州航路」(1919年3月8日号) 「日本ではやれ視察、やれ漫遊と休戦後の欧米旅行が大流行である。(中略)横浜からパリに行くにはシアトル航路と欧州航路(横浜―インド洋―パリ)の二つがある。シアトル航路、大陸横断鉄道経由(シアトル―シカゴ)の一等で乗り継いで…

第6回 シアトル航路の貢献

2022年7月1日 • 新舛 育雄

前回は領事に対する期待に関する記事について紹介した。今回はシアトル航路開設の経緯と1918年頃のシアトル航路と大陸横断鉄道に関する記事ついてお伝えしたい。 シアトル航路開設 シアトルと横浜をつなぐ日本郵船のシアトル航路は、1896年に開始。これを機に、シアトルの日系移民が急増していった。 日本郵船シアトル出張所副長の中瀬精一氏がシアトル航路開設につき、1920年1月1日号で当時の様子を次のように語っている。  「沙(シアトル)市と郵船会社」(1920年…

第5回 領事への期待

2022年5月6日 • 新舛 育雄

前回は1919年の『北米時事』の記事「一日一人人いろいろ」で紹介されたシアトルの日系社会で活躍した人達について紹介した。今回は、1901年に設置されたシアトル領事館に派遣された数人の領事について紹介する。 * * * * * シアトル在留日本人の支えとなったのが、領事の存在だった。第1回で1901年にシアトルに領事館が設置されたことをお伝えしたが、それ以降1941年までに13人の領事(領事代理等除く)が日本政府からシアトルに派遣された。シアトル領事館はワシントン州、モン…

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このシリーズの執筆者

山口県上関町出身。1974年に神戸所在の帝国酸素株式会社(現在の日本エア・リキード合同会社)に入社し、2015年定年退職。その後、日本大学通信教育部の史学専攻で祖父のシアトル移民について研究。卒業論文の一部を日英両言語で北米報知とディスカバーニッケイで「新舛與右衛門― 祖父が生きたシアトル」として連載した。神奈川県逗子市に妻、長男と暮らす。

(2021年8月 更新)