ディスカバー・ニッケイ

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日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《ロサンゼルス編》


2022年12月19日 - 2023年5月29日

1921年にいち早く商業ラジオ放送を始めたロサンゼルスでは、1930年から定期的な日本語ラジオ放送が始まった。シアトル編に続き、今シリーズでは戦前ロサンゼルス地域での日本語放送の歴史を全5回に分けてたどる。

*本シリーズは、平原哲也氏の著書『日本時間(Japan Hour)』からの抜粋で、『羅府新報』からの転載です。

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シリーズ「日本時間 ~日本語ラジオ放送史~」



このシリーズのストーリー

第4回 日本語放送界の第一人者、河辺照男

2023年1月16日 • 平原 哲也

ロサンゼルスの日本語放送史を語る上において欠かすことのできない人物がいる。それは1929年から約9年間アメリカに滞在し、いろいろな番組でアナウンサーを務めた河辺照男である。しかし、当時を知る人でも河辺照男と言われてもピンとくる人はほとんどいないと思われる。というのも公の場では本名の河辺ではなく、前田照男、前田輝男、あるいは国本輝堂の名前を使っていたためである。 まずは河辺の略歴を紹介しよう。1899年(明治32年)に大分県で生まれ、日本大学の学生時代に国本輝堂の名前で…

第3回 日本文化放送

2023年1月9日 • 平原 哲也

ロサンゼルスのブロードウエーと5番街にほど近いアーケード・ビル屋上にそびえ立つ、KRKDのネオンサインの付いたアンテナ鉄塔は長年にわたりダウンタウンのランドマークとして親しまれている。KRKDは戦前にはこのビルの3階にスタジオを有し、毎週月曜日の夜に日本人が集まり30分の日本語番組を放送していた。このように在留邦人にはおなじみの放送局であった。 KRKDで日本語放送が開始されたのは1932年9月のことである。当初「日本人ラデオ放送協会」と称したこの番組を主宰したのは、…

第2回 日本語放送の始まり

2022年12月26日 • 平原 哲也

1930年に入り待望のロサンゼルス初の定期的な日本語放送が開始された。ユタ州生まれの河内一正が主宰する「日本人放送局(あるいは日本語放送局)」である。開始は30年4月28日。月〜土曜日の正午から30分、KGFJで放送を行った。 アナウンスは南カリフォルニア大学大学院で政治学を学ぶ神田効一が担当した。「熱弁家で情熱家で世話好き」(『羅府日米』1932年8月22日)と評される神田は、その能弁と学業を生かして戦後愛知県議会議員や県議会議長を務めた。 放送を開始した第一週の…

第1回 日本語放送前史

2022年12月19日 • 平原 哲也

アメリカにおける商業ラジオ放送は1920年にピッツバーグでKDKAが開局したことに始まる。ロサンゼルスでは21年10月に認可されたKQLが嚆矢(こうし)である。翌年6月時点では25局が林立するほどまでになった。当時は放送に割り当てられた周波数が833kHz一つに限られていたため、各局で曜日と時間を調整しながら短時間の放送を行っていた。 ロサンゼルスで定期的な日本語ラジオ番組が開始されたのは1930年であるが、それ以前にも日本人のラジオ出演が見られる。まずは世界の共通言…

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このシリーズの執筆者

中学生の頃から外国の短波放送を受信する趣味を始める。ラジオ全般の歴史にも興味を持ち、近年は南北アメリカ大陸で放送されていた日系移民向けラジオ番組の歴史について調査している。2020年に北米大陸で戦前に行われていた番組を紹介する『日本時間(Japan Hour)』を自費出版。

(2022年 9月更新)