ディスカバー・ニッケイ

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第1回 日本語放送前史
アメリカにおける商業ラジオ放送は1920年にピッツバーグでKDKAが開局したことに始まる。ロサンゼルスでは21年10月に認可されたKQLが嚆矢(こうし)である。翌年6月時点では25局が林立するほどま…

平原 哲也 • 2022年12月19日


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ブラッドフォード・スミス: 日本に渡ったアメリカ人(そして帰国) — パート 2
パート 1 を読む >> 1942 年 2 月、ブラッドフォード スミスは、後に米国上院議員となるアラン クランストンに、戦時情報局 (当時は事実と数字の局と呼ばれていた) に採用され…

グレッグ・ロビンソン • 2022年12月2日


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ブラッドフォード・スミス: 日本に渡ったアメリカ人(そして帰国) — パート 1
第二次世界大戦中、日系アメリカ人を擁護する外部の人物、特に権力のある人物はほとんどいなかった。しかし、一世と二世は、戦前に日本に住み、日本文化に親しんだ「日本古参」の白人アメリカ人からさまざまな形で…

グレッグ・ロビンソン • 2022年12月1日


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第10回(その1) 『北米時事』の歴史 — 創刊時の様子
前回は日本人ホテル業の発展についてお伝えしたが、今回はシアトル日本人コミュニティを支えた邦字新聞について、とくに『北米報知』の前身にあたる『北米時事』の創刊時の様子についてお伝えしたい。 …

新舛 育雄 • 2022年11月9日


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上原征夫 – 戦時中の一世学者 - パート 1
アメリカが第二次世界大戦に参戦する前、少数の日本人移民がアメリカの大学で学者として働いていた。スタンフォード大学のヤマト・イチハシ、シカゴ大学のトヨキチ・イェネガなど、日本や戦前の日系アメリカ人コミ…

ジョナサン・バン・ハーメルン • 2022年10月26日


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第1回 満州での生活
「残留孤児だったかもしれない」 私が高校生の時、中国残留孤児と呼ばれる人々が来日し、記者会見を開いた。彼らは日本のどこかで暮らしているかもしれない親に対して、中国語で涙ながらに「会いたい」と呼びか…

福田 恵子 • 2022年10月5日





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第3回 日系ビジネスがこぞってラジオ放送参入
第2回を読む >> 三輪堂 1931年1月時点でKFQW局では隔週木曜日に中村時計店の「日本音曲放送」(第2期)が行われていたが、この番組のない週の同時間(午後7時半〜8時)にも日本音楽が流れて…

平原 哲也 • 2022年9月26日


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