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第6回 2世・3世の訪問団が奄美へ
2018年11月1日鹿児島で「鹿児島県人世界大会」が開催され、鹿児島にゆかりがある海外在住者(20カ国・地域から約280人)が鹿児島を訪れた。この大会に参加するためにブラジルからは27名が訪問団とし…
加藤 里織 • 2019年3月11日
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第5回 魚屋を開業、看板に「AMAMI」― 玉利繁弘さん(奄美大島宇検村出身)
奄美大島宇検村の伯国橋(ぶらじるばし)以外にも、ブラジル奄美移民の歴史を伝えるものがある。1955年、サンパウロ在住の奄美出身者たちによって建てられた奄美会館は、残念ながら2002年、他の日系団体に…
加藤 里織 • 2019年3月4日
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第4回 記憶と絆つなぐぶらじる橋 ~ 文岡賀津子さん(宇検村出身)
「宇検村に伯国橋(ぶらじるばし)あるでしょ。あれ、うちの父たちがつくったんです。」と話すのは文岡賀津子(74)さん。「前は木の橋で台風で大水が出たら、いっつも流されるから、だからあれ、ちょっと太…
加藤 里織 • 2019年2月25日
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第3回 コチア青年、農業に挑戦 ~ 肥後英樹さん(奄美市笠利出身)
ブラジル移民は主に家族単位で行われていたが、単身でブラジルへ渡った人もいた。敗戦後、多くの復員兵や引揚者が帰国した。国内は敗戦による混乱が続いており、彼らを受け入れる力はなかった。失業者があふれ、深…
加藤 里織 • 2019年2月18日
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第2回 60歳超えて踊りの「先生」 ~ 島田シズエさん(宇検村出身)
2017年11月に刊行された『宇検村誌 自然・通史編』によると、鹿児島県奄美大島の宇検村からのブラジル移民は大正7(1918)年9月に長崎港から讃岐丸でブラジルへ渡航した13家族、54人が初めてのブ…
加藤 里織 • 2019年2月11日
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第1回 大高の記憶、鮮やかに ~ 篤常重さん(名瀬出身)
1908年、日本人がブラジルへ集団移住を始めた。10年後の1918年、鹿児島県奄美からもブラジルへ渡る人々が現れた。2018年はそれから100年目に当たる。筆者は2018年2月25日、奄美文化センタ…
加藤 里織 • 2019年2月4日
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鹿児島移住者の家族の物語
鹿児島県は日本の南に位置する島々で、110年以上前、日本人の一団がペルーへ向けて出発しましたが、遠い地で自分たちの子孫のための新たな故郷を見つけることになるとは想像もしていませんでした。異なるもので…
ハビエル・ガルシア・ウォング=キット • 2019年1月8日
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2011年東日本大震災の被災者に送ったメキシコのくす玉と応援メッセージ
2011年3月11日の早朝、画家の鈴木美登里さんはなかなか眠りにつくことができなかった。その日は朝から、日墨協会で自身とアーティスト仲間が企画した「マゲイの花(竜舌蘭の花)」という絵画展の開会式が予…
セルヒオ・エルナンデス・ガリンド • 2017年3月10日
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南三陸町で東日本大震災の被災地を視察
南三陸町での最後の日、私たちワールド・イン・東北の小グループは、2011年3月11日の地震と津波で壊滅的な被害を受けた町の中心部の沿岸地域を巡るツアーに申し込みました。それまで私たちは、献身的で刺激…
ナンシー・マツモト • 2016年9月20日