ディスカバー・ニッケイ

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サッカーファンのハルコ(母)
春子(お母さん)はサッカーファン?はい、サッカーファンです。どうしてそうなったのでしょうか。実は、彼女の末っ子 3 人、裕三、正夫、吾郎は皆、幼い頃にリトル リーグ フットボールをプレーしており、春…

ショウキチ・“ショックス”・トキタ • 2022年12月30日


遊び方
年月は私たちの日常生活を延長し、希望の道で戦い続けることを教えてくれます。そして、私たちの日常生活に過ぎ去り、痕跡を残す人生のあらゆる関心事に贅沢に関わった悪徳が過去にあったことについて言及する価値…

ルイス・イグチ・イグチ • 2022年12月1日


アメリカ大陸の日系選手の歴史とオリンピックでの功績
ペルーで日系人の貢献という話になると、芸術やグルメ部門のことが話題になることが多く、誰もがその評価に賛同する。例えば日系二世のティルサ土屋氏は、ペルー史上最高のアーティストとして知られている。 料…

エンリケ・ヒガ・サクダ • 2022年7月25日


アルベルト・イズ: 人間百科事典
話していると、ある種の「人間百科事典」のような友情関係が生まれる。そして興味深いのは、コロナウイルスの長い歴史の中で、私たちの生活に突然の変化を起こさなければならないことを教えてくれたことです。特に…

ルイス・イグチ・イグチ • 2022年7月6日


清野敏幸さん—その7:JALでの日々、そして柔道名誉殿堂入り
その6を読む >> 空港勤めの仕事は、週末がないこともしばしば。そして1966年には息子が誕生し、敏幸、妻のみどりの生活は一気に忙しくなっていく。そんな中でも敏幸は時間があれば庭に出て一人で柔道の…

三木 昌子 • 2022年4月18日


清野敏幸さん—その6:除隊、就職、結婚
その5を読む >> この間、敏幸の人生は大半が柔道であったとはいえ、それだけに占められていたわけではない。1960年の3カ月の日本滞在では、大切な出会いもあった。 「講道館は週末が休みだったので…

三木 昌子 • 2022年4月11日


清野敏幸さん—その5:アメリカ空軍に入隊
その4を読む >> 敏幸の1959年以後を辿る前に、いったん敏幸の家族のストーリーを辿っておこう。1956年にアメリカに戻ってきた敏幸だが、父母や弟妹らも翌1957年にロサンゼルスに戻っている。こ…

三木 昌子 • 2022年4月4日


朝日新聞の選手兼監督、ロイ・ヤマムラ氏が野球殿堂入り
オンタリオ州セント・メアリーズ — 伝説のアサヒの選手兼監督でMVP賞受賞の遊撃手ロイ・ヤマムラが、11月16日のバーチャル式典でカナダ野球殿堂博物館入りを果たした。アサヒのチーム全体が2003年に…

ケリー・フレック • 2022年3月10日


ワット・ミサカを鑑賞する
ナショナル バスケットボール アソシエーション (NBA) が創立 75周年を迎えるにあたり、その歴史に残る重要人物としてワット ミサカを挙げたのは当然のことです。ワタル "ワット&quo…

クリス・コマイ • 2022年2月7日


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