ディスカバー・ニッケイ

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サンパウロに集中する日系コミュニティ (ポルトガル語)

(ポルトガル語)他の国の日系社会と比べて、ブラジルの日系社会は独特です。世界一の規模を持つブラジルの日系人コミュニティには、さまざまなユニークな特徴があります。1908年の日系移民の到着と共に、サンパウロを中心とする私たちのコミュニティは生まれました。初期の移民たちは、サンパウロ州の農園で働き、多くがそのままサンパウロに残りました。

1930年代頃には、パラナ州に移住して行く人々もいましたが、それでもサンパウロは州というよりは、むしろ国のように、日系移民の存在感のある土地となっていました。日系ブラジル人の約80%は、現在もサンパウロで生活しており、日系人口が密集しています。また、1940年代頃までは農業を主とした暮らしがありましたが、その後都市化が進みました。これまでを振り返ると、ペルーやアメリカと比べて、ブラジルの日系社会はずっと内向きだったと言えます。しかしながら、数百年の年月を経て、日系コミュニティは、ようやく日系以外のブラジル社会とオープンな関わりを持ち始めています。


ブラジル ハワイ アイデンティティ 日系アメリカ人 日系 サンパウロ アメリカ合衆国

日付: 2005年10月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

セリア・アベ・オイは1950年イタペチニンガ市で生まれました。祖父母は広島市に近い阿多田島から1929年ブラジルへ移民し、農園で綿やジャガイモを栽培しました。両親も兄弟も同じく農業を続けました。1968年は歴史学を専攻し、1979年にカスペル・リベロ大学のジャーナリスム科を卒業しました。70年代半ばから、ニッパク新聞でポルトガル語で記事を書き始め、複数の新聞社などを通して、日系ブラジル人社会を紹介してきました。1998年からブラジル日本移民史料館の会長になりました。 (2006年7月26日)

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

アート・シバヤマ

ペルーでの子供時代(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)

ビンス・オオタ

東海岸とロサンゼルスの違い(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

田中誠一

アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)