ディスカバー・ニッケイ

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徴兵回避のためアメリカへ帰国(英語)

(英語) I*: どうしてアメリカに戻ることにしたのですか?

(アメリカに戻ったのは) 第2次世界大戦が始まる前のことだったのですが、僕がもしそのまま日本に留まれば、兵士として戦争に連れて行かれるんじゃないか、と両親は心配したんですね。僕はアメリカの市民権を持っていたので、アメリカに帰れば日本の政府は僕を徴兵することはできませんからね。そういう訳です。

* I はインタビュワー(ダニエル・リー)


移住 (migration) 第二次世界大戦

日付: 2004年2月4日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ダニエル・リー

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジョン・ヨシオ・ナカ氏は1914年8月16日コロラド州ブライトンで、日本人移民のカキチとユキノとの間に生まれました。幼少時代を父親が経営するコロラド州フォート・ラプトンの農場で過ごしましたが、祖母の面倒を見るため、8歳の時に家族と共に日本へ移住し、そこで祖父から盆栽を習いました。

1935年、21歳の時、ナカ氏は兄の農場で働くためコロラド州に戻りました。そこで妻のアリスに出会い、結婚して3人の息子を授かりました。第二次世界大戦後は家族と共にロサンゼルスに移り、すぐに日系アメリカ人コミュニティーを対象に盆栽を教え始めました。その後、のちにCalifornia Bonsai Society(カリフォルニア盆栽協会)となる盆栽クラブを設立。盆栽教室を英語で行うようになり、日系アメリカ人コミュニティー以外の人たちにも盆栽を教えるようになりました。また、盆栽に熱心な人たちの要望に応え、各地で教室を開催するためカリフォルニア全土を訪れるようになり、後にアメリカ全土、カナダ、オーストラリア、南アメリカ、南アフリカ、ヨーロッパからも教室や講義を依頼されるようになりました。ナカ氏は盆栽を西洋諸国に広めるため大いに活躍しました。

盆栽教室への人気が高まったため、ナカ氏は世界中で(盆栽を)教えることになりました。また『Bonsai Techniques(盆栽テクニック)』と『Bonsai TechniquesⅡ(盆栽テクニックⅡ)』の2つの本を執筆。これらは多言語で出版されています。そして1985年には日本の天皇から贈られる勲五等双光旭日章(the Fifth Class Order of the Rising Sun)、1992年には全米芸術基金(NEA)から贈られるThe National Heritage Fellowship Awardなど、数々の賞を受賞しています。The National Bonsai and Penjing Museum(ワシントンDCの国立樹木園の一部)にあるJohn Naka Pavilionはジョン・ヨシオ・ナカ氏の栄誉を称え命名されたものです。

ナカ氏は2004年5月19日に亡くなりました。(2006年10月4日)

Harunori Oda
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ハルノリ・オダ

渡米の決意(英語)

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事業の拡大(英語)

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人生哲学(英語)

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日本での玻満子との出会い(英語)

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大友 八郎

アメリカで直面した偏見

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天野氏と会う(英語)

アメリカ陸軍情報部隊員(1916-2013)

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結婚と帰国(英語)

アメリカ陸軍情報部隊員(1916-2013)

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Susumu “Sus” Ito
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ススム・“スス” ・イトウ

仕事を探していた時に感じた差別 (英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

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Susumu “Sus” Ito
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イタリア人の気前のよさ(英語)

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上司の招きでハーバード大学の教員に(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

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渡米を勧めてくれた父(英語)

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