ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/663/

自らの信念を語ること (英語)

(英語) 自分の考えが正しいと思うのであれば、そのことを口にすべきです。(戦時中日系人が体験したことは)誰にでも起こりうることなのです。マイノリティーの人なら誰しも、日系人がそうされたように言いがかりをつけられ、投獄されてしまう可能性がある訳です。マイノリティーである、という理由だけで起こりうるのですよ。でももし、立ち上がって声を大にして考えを述べれば、そのようなことが起こってもそれに対抗することができるのです。みなさんご承知の通り、ユダヤ人たちはホロコーストについて、それこそうんざりするほど何十年も頑なに語り続けていますよね。彼らは、「忘れてはいけない。ホロコーストは誰にでも起こりうる。そのことを忘れてはいけない。」と人々に呼びかけているんです。日系人も同じように人々の前に出て行き、我々に起ったことが二度と繰り返されてはいけない、と語り続けなければならないのです。


差別 対人関係

日付: 1997年7月25日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: ラリー・ハシマ、スティーブン・フギタ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

ジーン・アクツ氏は、1925年にワシントン州シアトルで生まれた、日系二世の男性です。戦前の幼少時代をシアトルの日本街で過ごしますが、(戦争が始まると)ワシントン州ピュウアラップの集合センターおよびアイダホ州ミニドカの収容所へ収容されました。徴兵を拒否したため、ワシントン州マクニール島の刑務所に徴兵拒否の罪で入れられ、(出所後は)シアトルに再び腰を落ち着けました。(1997年7月25日)

アルフレド・カトウ

日本人に対するステレオタイプ: 昔と今(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

ジョージ・カツミ・ユザワ

JACLの全米書記マイク・マサオカの1942年のスピーチへの反応(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ジョージ・カツミ・ユザワ

戦中のニューヨーク市での最初の印象(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ジョージ・カツミ・ユザワ

真珠湾攻撃後の近所の同情(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

飯野正子

日本人移民に興味を持ったきっかけ

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

PJ・ヒラバヤシ

子供のころ体験した差別(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

オーシャンパークでの唯一の日系人家族(英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

映画制作で行った小細工(英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

終わることを知らない人種差別 (英語)

作家(1934年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

藤間勘須磨

日本ではアメリカ人として、アメリカでは日本人として踊る (英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

政治権力の欠如が収容所の一因(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

囚人のように思えた収容所生活(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

ニューヨーク市の日本人に対する戦争ヒステリア(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ジャック・ハージック

人種ゆえにより説得力を持った証言(英語)

元米国陸軍対敵諜報部将校(1922-2005)