インタビュー
戦後の差別(英語)
(英語)5、6歳位だったでしょうか、私は、幼稚園から小学校1、2年生でした。たくさんの地元の子供たちから「ジャップ」と呼ばれました。「友達はみんな、おまえたちに殺されたんだ」なんて言われて。とても辛い時代でした。それで、もう自分の人種がものすごく嫌になって、すごく大変でしたよ。私は何もしていないのに、突然皆に憎まれるなんてね。殴られましたし、そりゃあひどいものでしたよ。たしか中学2年生か3年生くらいで大分収まりました。
まあ、時間が経てば人は忘れていきますからね。私ではなくて、そういうことをする側の人たちは、忘れていくのでしょうね。彼らは、亡くなったたくさんの親戚のことを想って…何と言うか、私にはよくわかりませんけどね。まあ、彼らは誰かを責める訳です。今で言えば、アラブ系の人たちと同じですね。9.11の後、彼らはひどい目にあわされました。誰が敵かわかりませんから、単に人種で判断されるんです。朝鮮戦争、ベトナム戦争もありました。誰が敵かわからないんですよ。今だにそうじゃないですか?
日付: 2006年6月1日
場所: 米国、ハワイ州
インタビュアー: アケミ・キクムラ・ヤノ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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ミツル・”ミッツ”・カタオカ
ハートマウンテンで“ジャップ”と呼ばれることの意味を知る(英語)
日系アメリカ人デザイナー、教育者、メディアテクノロジー先駆者(1934-2018年)
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