ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/537/

日本への親近感(英語)

(英語)初めて日本に行ったのは、Linkin Parkのツアーの時でした。自分のルーツに戻り、自分の原点に触れられたことが、ある意味とても興味深く楽しい経験でした。このツアーで一番印象に残った不思議なことは、はっきりとした理由もなく、なんとなく(日本に)親しみを感じたことです。例えば人の身振りや話し方。日本語が話せないので、みんなが何を話しているのかはわかりませんでしたが、自分の家族のせいか、ちょっとした事がなんとなく身近に感じたのです。別に何か特にこれといったものや、明らかなものがあったわけではないんですけど、微妙な何かを感じたのです。ですからこのツアーは、私に何かを考えさせるきっかけになったと感じています。私はハーフで日本語は話せませんが、それでも、ある種の親近感を個人的に感じたんです。「うん、この場所のどこかに少しつながりがある。何か通じるものがある」といった感じでね。


ハパ アイデンティティ 日本 リンキン・パーク(ロックバンド) 多人種からなる人々

日付: 2006年1月16日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: クリス・コマイ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

マイケル・ケンジ・シノダはカリフォルニア州ロサンゼルスの郊外にあるアゴーラヒルズで日系アメリカ人の父と白人の母親の元に生まれ育ちました。3歳の時、ピアノを習い始めたのが音楽との出会いです。高校、大学時代は、友達とともにXeroという名のバンドを組んでいましたが、同じ名前のバンドが既に存在していたため、バンド名をHybrid Theoryと変更。最終的にLinkin Parkの名前に落ち着きました。2000年には最初のアルバムをリリース。以来、Linkin Parkの活躍は目覚しく、2002年には「Crawling」でグラミー賞最優秀ハードロックパフォーマンスを受賞、2006年にはJay-Zとのコラボレーション「Numb/Encore」でもグラミー賞(最優秀ラップ/ ソング・コラボレーション賞)を受賞しました。

2005年、シノダはFort Minorのプロジェクトをたちあげ、初のソロアルバム『The Rising Tied』をリリースしました。これは自ら作曲・プロデュースしたヒップホップのアルバムです。このデビューアルバムの中にある「Kenji」は全米日系人博物館を訪れたのをきっかけに作った曲です。第2次大戦中に収容所経験のある親戚から話を聞き、父親と叔母のインタビューの一部を歌に組み入れています。

また、カリフォルニア州パサデナにあるArt Center College of Designで学んだ彼は、音楽のキャリアのほかに、視覚芸術の分野でも活躍しています。Linkin Parkの出版物やウェブサイトのデザインなども手がけており、Linkin ParkやFort Minorのアルバムカバーのデザインも彼の作によるものです。

このように多くのプロジェクトを手がけているにもかかわらず、慈善事業にも多数参加しています。母校のArt Center College of Designで奨学金を立ち上げ、さらにはユナイテッド・ウェイ、Denshō 、Make-A-Wish Foundation、全米日系人博物館のような団体もサポートしています。2005年に行われた、ロサンゼルスでの二世ウィーク祭のパレードにも参加。2006年には、彼のアメリカ文化へのクリエイティブな貢献に対し、全米日系人博物館から賞を受賞しています。(2006年10月19日)

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中アメリカの爆撃に備えた日本での生活(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

先生から聞いた反アメリカプロパガンダ(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

第2次大戦中の日本での苦難(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

ビンス・オオタ

在日3年後に決めた日本永住の理由(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)