ディスカバー・ニッケイ

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ロサンゼルスで見つめる自己アイデンティティ(英語)

(英語)自己アイデンティティ、特に人種のアイデンティティへの問いかけは、ロサンゼルスの若者達の間では常にあります。特にロスという場所は多様性がありますからね。私は[San Fernand] Valleyの学校に通っていましたが、色々な子供たちがいましたよ。本当に色々な(バックグラウンドの)人がいましたね。特にWoodland Hills地域の学校に通っていた時は、友達はみな違うバックグランド、人種、宗教だったんです。

だから、若い人なら誰でも考えるように「自分はどこに入り、どこに所属するのか?」という切実な疑問を抱くようになりました。ある時期では、誰もそんな違いを気にせずに、単に同じ場所にいて気が合うというだけで友達になりますが、ある時期になると、他の人に対して自己のアイデンティティを意識するようになるんですよね。私のように自分のルーツに多くの人種がミックスされていると・・・父は日本人、母は白人系アメリカ人ですが、祖先をさかのぼると多くの人が初期のアメリカ入植者に家系をたどることができるんです。2面性があって面白いことだと思うんです。片方はものすごく白人的なのにもう片方は日本人であり、日系人なんですよね。日本人と日系アメリカ人もまた違いますから。年をとるたびに何故かそんなことを意識し始めるのです。


カリフォルニア州 ハパ アイデンティティ ロサンゼルス 多文化主義 (multiculturalism) 多人種からなる人々 アメリカ合衆国

日付: 2006年1月16日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: クリス・コマイ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

マイケル・ケンジ・シノダはカリフォルニア州ロサンゼルスの郊外にあるアゴーラヒルズで日系アメリカ人の父と白人の母親の元に生まれ育ちました。3歳の時、ピアノを習い始めたのが音楽との出会いです。高校、大学時代は、友達とともにXeroという名のバンドを組んでいましたが、同じ名前のバンドが既に存在していたため、バンド名をHybrid Theoryと変更。最終的にLinkin Parkの名前に落ち着きました。2000年には最初のアルバムをリリース。以来、Linkin Parkの活躍は目覚しく、2002年には「Crawling」でグラミー賞最優秀ハードロックパフォーマンスを受賞、2006年にはJay-Zとのコラボレーション「Numb/Encore」でもグラミー賞(最優秀ラップ/ ソング・コラボレーション賞)を受賞しました。

2005年、シノダはFort Minorのプロジェクトをたちあげ、初のソロアルバム『The Rising Tied』をリリースしました。これは自ら作曲・プロデュースしたヒップホップのアルバムです。このデビューアルバムの中にある「Kenji」は全米日系人博物館を訪れたのをきっかけに作った曲です。第2次大戦中に収容所経験のある親戚から話を聞き、父親と叔母のインタビューの一部を歌に組み入れています。

また、カリフォルニア州パサデナにあるArt Center College of Designで学んだ彼は、音楽のキャリアのほかに、視覚芸術の分野でも活躍しています。Linkin Parkの出版物やウェブサイトのデザインなども手がけており、Linkin ParkやFort Minorのアルバムカバーのデザインも彼の作によるものです。

このように多くのプロジェクトを手がけているにもかかわらず、慈善事業にも多数参加しています。母校のArt Center College of Designで奨学金を立ち上げ、さらにはユナイテッド・ウェイ、Denshō 、Make-A-Wish Foundation、全米日系人博物館のような団体もサポートしています。2005年に行われた、ロサンゼルスでの二世ウィーク祭のパレードにも参加。2006年には、彼のアメリカ文化へのクリエイティブな貢献に対し、全米日系人博物館から賞を受賞しています。(2006年10月19日)

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