インタビュー
ピュアラップ集合センターで失った青年期の能天気さ(英語)
(英語) あの頃、私はとても忘れることができない経験をしました。ある日メッセンジャーが私のところに来て誰かが面会に来ていると言いました。日本人ではなく外からの人だと。私は誰だろうと興味深々でした。ノーム・ピーターソンかな、トニーかな、それとも・・・でもそこにいたのは私の先生でした。私達は握手をして歩き出しました。
先生は黙っていて、そして「どこか座って話ができるところはありますか?」と言いました。ですから私は「もちろん」と言い(競馬場の)特別観覧席の上の方へ行きました。今でもその観覧席はあります。私は以前ガールフレンドとそこへ一緒に行った事がありましたが、行ってすぐそこの雰囲気が変わっていることに気づきました。突然目の前に集合センターの全景が広がりました。そこにいくつも連なったバラックがあるなんて夢にも思いませんでした。ある意味衝撃的な光景でした。なぜかというと、他の場所では全然・・・私達はいつも地上レベルにいるので(全体が見えません)、観覧席へ上って見ると突然いくつも連なったバラックが見えたのです。(この施設は)競馬を行うためにこの地域に作られました。
そして先生は・・・先生は第2次世界大戦中の先生の経験を私に話してくれました。先生はドイツ系で先生の父も拘留されたそうです。ですから先生も似たような経験をしたと。そして先生はこの様な事が起きるなんて汚く腐り果てた恥だと言っていました。私はそこで初めて自分の身に何が起きているのか分かったのです。それは私に大変なインパクトを与えました。ほんの少し前までは楽天的で何の気苦労もなかったのですから。
日付: 1997年4月18日
場所: 米国、ワシントン州
インタビュアー: ロリ・ホシノ、スティーブン・フギタ