インタビュー
第2次大戦後の東京(英語)
(英語)(街は)廃墟と化していました。私達はマニラや日本でそれを目の当りにしました。特に東京、横浜、大阪の大都市は荒廃していました。破壊されたビルと瓦礫がただただ向こうまで続いていて、荒廃しているのが一目瞭然でした。本当に驚きました。もう少し(戦争によって何が起きているのか)知るべきでしたが、当時私はまだ20歳かそこらでしたから。我々(米国)ももう少し思いやりがあっても良かったのではないでしょうか。東京に着いた最初の夜のことです、飛行場に着陸した後、私は友達と街中に移動して、東京の中央にある日比谷公園の横にある、破壊されずに残った数少ないビルのひとつ「森永ビル」に行きました。(森永ビルの)外に出るとお腹が空いたので、近くにいた警察官に「すみません、この辺にレストランはありますか?」と尋ねると、その警察官は笑って「あなた方が爆弾でめちゃくちゃに破壊してしまい、食べ物なんてありませんよ。ましてや開店しているレストランなんて」と言いました。(何が起きているのか)知るべきでした。日本の人たちにとって本当に悲しい状況でした。
日付: 2004年3月18日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ミシェル・マキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター