ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/335/

日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)

(英語)アメリカの立場は理解できます。攻撃されれば守らなくていけませんから。ごく自然のことだと思います。私は日本的な考えとアメリカ的な考えの両方を持ち合わせていたので、なんだか複雑な心境でした。私自身、自分はアメリカ人だと思っていたのです。でも周りの人は私を日本人だと思っていました。ですから何も発言しないと決めたのです。(何か言えば)どちらかが気分を害するでしょうから。何も言わないことがベストだったのです。口を閉ざすというのはひとつの方法でした。これにもちろん賛成する人も反対する人もいるでしょう。もし意見を聞かれた時、誰も傷つかないのであれば、私も意見を述べますよ。それが私の考え方です。


アイデンティティ 愛国心 第二次世界大戦

日付: 2003年12月17・18日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: アリス・イトウ、トム・イケダ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

ヒロシ・マツモト氏(通称ロイ)は1913年5月1日にカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のラグナで生まれました。彼の家族は広島県出身で、子供の頃は祖父母とともに日本で暮らし、日本の小学校・中学校に通いました。

アメリカへ帰国後、彼はロングビーチ・ポリテクニック高校へ通うかたわら、さまざまな職を経験しました。第2次世界大戦中はサンタ・アニタ集合センターへ収容され、その後アーカンソー州のジェローム強制収容所へ送られました。ジェロームで6ヶ月間過ごした後、陸軍情報部(MIS)へ志願しました。

松本氏はキャンプサベージで行われた最初のMISのクラスへ参加しました。メリル襲撃隊*(Merrill's Marauders )のメンバーとしての功績は称えられ、後に米国勤功賞(Legion of Merit)を受賞、さらにはRanger Hall of Fame(奇襲部隊)の殿堂入りを果たしました。(2003年12月18日)

*メリル襲撃隊はフランク・D・メリル陸軍大佐率いる第5307混成部隊

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティでの最初の食事(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

クリスタルシティの雷

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。