ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/256/

日本語とハワイ語によるハワイの耕地での伝統的な労働歌(ほれほれ節)

[「ほれほれ節」はプランテーションで砂糖きびを刈る時に歌われていたものです。笠原さんはレコードを聞いてこの歌を覚えたそうです。]

(日本語とハワイ語)

日本出るときゃよ~
一人ででたが
今じゃ子もある 孫もある
そのわきゃ チャッチャ(内緒)で
ヌイヌイ(大変、たくさん) マイタイ (結構、よろしい)

花嫁御陵でよ~
呼び寄せられて
指折り数えて50年
そのわきゃ チャッチャで 
ヌイヌイ アカマイナ…カマアイナ(すばらしい土地の人)

カネ(男・夫)はカチケンよ (砂糖きびを刈り * 英語でcut cane)
ワヒネ(女・嫁)は ハッパイコウ (砂糖きびを担ぐ)
夫婦そろって 共稼ぎ
そのわきゃ チャッチャで
ヌイヌイ ハナハナ(仕事)

明日は サンデー(日曜日)じゃよ
ワヒネも つれて
アイカネ(友達)訪問と 出かけよか
そのわきゃ チャッチャで
ヌイヌイ ホロホロ(遊ぶ)


カナカ(ハワイの方言)の言葉がはいってるんですね(笑)。


農業 ハワイ ホレホレ節 プランテーション サトウキビ アメリカ合衆国

日付: 1991年6・7月

場所: 米国、ハワイ州

インタビュアー: ロバート・ナカムラ、カレン・イシズカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1900年生まれの福岡県出身の笠原さんは、先にハワイへ移住していた両親に1919年に呼び寄せられた。移住当時はホームシックで毎日泣き明かしていたという彼女は、砂糖きびプランテーションで日給55セントで働いた。

笠原さんは1922年に、プランテーション労働者とお見合い結婚をした。夫は再婚で、最初の奥さんは亡くなり、二人のお子さんをもうけていたが、笠原さんと結婚したときは、二人の子供たちは日本へいた。笠原さんはその夫との間に6人の子供をもうけたが、うち2人をまだ小さい時に亡くした。(1991年7月)

ダニエル・K・イノウエ

真珠湾攻撃の記憶 (英語)

ハワイ州上院議員 (1924-2012)

フレッド・Y・ホシヤマ

ホノルルでの就職(英語)

二世、YMCAと日系アメリカ人コミュニティ・リーダー(1914-2015)

フレッド・Y・ホシヤマ

ハワイで感じた自由と寛容性(英語)

二世、YMCAと日系アメリカ人コミュニティ・リーダー(1914-2015)

Fukuhara,Jimmy Ko

Sugar beet farming process

日系二世、連合国軍占領下の日本に駐留した退役軍人(1921年生)

ロバート・T・フジオカ

ハワイで働いた曽祖父(英語)

ハワイ生まれの元銀行幹部職員(1952年生)

ロバート・T・フジオカ

ワイルアの祖父フジオカ(英語)

ハワイ生まれの元銀行幹部職員(1952年生)

トム・ユキ

野菜の栽培と出荷の共同会社を立ち上げた父(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

トム・ユキ

父の事故後、ビジネスを継ぐ(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

モニカ・タイシャ―

コロンビアに移住した祖父(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

サブリナ・シズエ・マケナ

マリー・ミルクス判事 - 彼女のヒーローであり指導者

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。