ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1640/

ペルーからカリフォルニアに移住した両親(英語)

(英語)1980年代のペルー経済は、今ほど良くありませんでした。私の両親は結婚して子供を持ち、家庭を築こうとしていました。外国から移民として移住し、自分の力で身を立て、家やあらゆるものを手に入れようとしていた人々にとって、”アメリカンドリーム”はリアリティのある考え方でした。一方、1980、90年代のペルー国民にとって、政府は安全な存在ではありませんでした。私の両親はカリフォルニア州ロサンゼルスを目指し、米国への移住を決めました。

ガーデナやトーランス、サウスベイには大きな(日系ペルー人)コミュニティがあり、その中には私の親せきもたくさんいます。両親の移住後、叔父や叔母たちもみんな米国に来ました。コミュニティの仕事や活動を通して出会ったたくさんの人たちに、「実は私の家族もペルー出身だよ」とか、アルゼンチンやブラジル出身だという話を聞くことができたのは、とても素晴らしいことでした。そうした背景を持つたくさんの人たちと知り合うことができたのは興味深いことです。


コミュニティ 日系ペルー人 移住 (migration) 沖縄県系 ペルー アメリカ合衆国

日付: 2018年8月30日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: シャーロン・ヤマト

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

(日本語)カリフォルニア州ガーデナ育ち。両親は、ペルーの日系および沖縄系コミュニティで育ち、後に米国へ移住したリマ出身の移民。こうした多様な背景を持つヤマシロさんは、これまでさまざまな文化的伝統が混ざり合う環境に触れてきた。北米沖縄県人会に所属し、沖縄とペルーを訪れた経験がある。教員免許を取得したが、ガーデナバレー日系文化センター(GVJCI)での活動機会を得て、非営利の仕事に転向し、GVJCIおよび北米沖縄県人会でボランティア活動をしている。(2018年8月)

上杉 武夫

米国で最初に訪れた庭園(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

本郷悦男

渡米の理由

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

アート・シバヤマ

ペルーでの子供時代(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

モニカ・小木曽

アルゼンチンへ移住してきた家族背景(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

アート・シバヤマ

真珠湾攻撃後、ペルーからアメリカへ連行(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

日系ペルー人ゆえに拒否された賠償金(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

ローズ・クツカケ

両親がカナダへ渡航した理由(英語)

第二次大戦中にスロカンに収容。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー (1918-2004)

フレッド・ササキ

フレデリック・ヨシヒデ・ササキの家族構成(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

キャロウェイ・久松 照美

姉妹4人が国際結婚

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

ビンス・オオタ

在日3年後に決めた日本永住の理由(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

シズコ・カドグチ

東へ移住か渡日かの選択(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

フランク・ソギ

ハワイ島コナのコミュニティ(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

キャロウェイ・久松 照美

ホームシック

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

ジョージ・アズマノ

オレゴン州ポートランドのダウンタウン(英語)

アズマノトラベル創設者