ディスカバー・ニッケイ

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先見と明と幸運でロス・ガトスに転居(英語)

(英語)私たちはアメリカ市民なので、いずれ戻れることを父は知っていました。父は自動車を保管し、たくさんの私物を郵便局に預けていました。父が解放されると、両親は車などを引き取りにサリナスへ行きました。そして車を走らせ、住む場所を見つけました。父にはとても簡単なことでした。不動産を買うお金がありましたから。

ロス・ガトスへの転居に関する話ですが、もともと父はサンノゼに家を買うつもりでしたが、見つけることができず、サンノゼからロス・ガトスに向かいました。姉がロス・ガトスのことを知っていたからです。その道中、”売り家”の表示を目にした父は、寄るだけ寄ってみようと考え、農家に車を乗り付けました。最初に父の目に入ったのは、イタリア人の農家、ビクター・ジャナンドレオでした。ビクター・ジャナンドレオは父を見るなりすぐに地下に案内しました。地下にはベニート・ムッソリーニの大きくて立派な肖像があり、相手は味方だと父は気付きました。二人は地下で酒を飲み、父はロス・ガトスの農場を手に入れました。

ビクター・ジャナンドレオはあまり英語が話せませんでした。私たちがロス・ガトスに住むようになった経緯はお話しした通りですが、ビクター・ジャナンドレオには亡くなった甥がいました。甥を住まわせるつもりで建てた家でしたが、亡くなってしまったのです。彼は悲しみに打ちひしがれていましたが、農家を父に売ることができ、とても喜んでいました。


カリフォルニア州 ロスガトス 戦後 再定住 アメリカ合衆国 第二次世界大戦

日付: 2018年3月22日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1935年6月29日、カリフォルニア州サリナス生まれ。父親は戦前から農業ビジネスを共同経営し、戦時中アリゾナ州ポストンに強制収容されていた間も電話や電報を利用し、ビジネスパートナーに助けられながらビジネスを続けた。ポストンから戻った一家はカリフォルニア州ロス・ガトスに移住し、農業ビジネスを継続した。トムはサンタクララ大学に進学し、米軍に入隊後、軍需品担当将校としてフランスに駐留した。ユキ・ファームのマネージメントパートナーの仕事をトムに継がせるつもりだった父親は亡くなり、その時トムは企業の契約管理者の仕事をしていた。トムは、全米日系人博物館での理事など、これまで多くの団体で役員を務めてきた。(2018年12月)

Howard Kakita
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ハワード・カキタ

アメリカで両親と再会する(英語)

広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)

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Howard Kakita
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ハワード・カキタ

アメリカ生活への適応(英語)

広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)

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Masato Ninomiya
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二宮 正人

両親がブラジル移住を決めたきっかけ

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

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