ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1620/

憲法に守られることを信じていた父(英語)

(英語)真珠湾攻撃が報じられると、私たちはどうなるのかすぐに分かりました・・・父はあまり多くを語りませんでしたが、何が起きているのかは分かっていました。父は、自分には憲法上の権利があることを知っていました。他の人たちがパニックに陥り、大統領令が発令された時も、(日系人の強制退去は)憲法に違反していて、実行できるはずはないと信じていました。実際大統領令が施行された日、それが農場での最後の日になりましたが、父はギャビラン川の向きを変える作業をしていました。収容所に行かなければならないということに気付いていなかったのです。


公民権 第二次世界大戦

日付: 2018年3月22日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1935年6月29日、カリフォルニア州サリナス生まれ。父親は戦前から農業ビジネスを共同経営し、戦時中アリゾナ州ポストンに強制収容されていた間も電話や電報を利用し、ビジネスパートナーに助けられながらビジネスを続けた。ポストンから戻った一家はカリフォルニア州ロス・ガトスに移住し、農業ビジネスを継続した。トムはサンタクララ大学に進学し、米軍に入隊後、軍需品担当将校としてフランスに駐留した。ユキ・ファームのマネージメントパートナーの仕事をトムに継がせるつもりだった父親は亡くなり、その時トムは企業の契約管理者の仕事をしていた。トムは、全米日系人博物館での理事など、これまで多くの団体で役員を務めてきた。(2018年12月)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティで歓迎を受けた家族(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティでの最初の食事(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

クリスタルシティの雷

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士