ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1433/

父の影響(英語)

(英語)子供だった私は、お父さんがいつも家族のそばを離れてしまうことをなんだかもどかしく思っていました。父は、私たちが収容されていた両方の収容所でブロックのまとめ役をしていました。最初に連れて行かれたのがアーカンソー州ローワー収容所で、忠誠心調査の後、カリフォルニア北部のツールレイク収容所に移されました。

父が関わる活動は、いずれの収容所でも私には他人事にしか思えませんでした。ローワーの収容所は雨が降ると水浸しになり、1日に3度も食堂に避難しなければなりませんでした。そのための移動は老人や高齢者には負担が大きく、ぬかるみに足をとられ、その足を引っこ抜くのは本当に骨が折れました。子供のいる母親たちは、たくさんの子供たちを食堂に集めるのに本当に苦労していました。収容所には板張りの歩道が必要になり、設営のための人員のとりまとめを父が行いました。父はいつもコミュニティのための会合やプロジェクトに参加していました。

私は成長するにつれ、あることを理解するようになりました。収容所からの解放後、両親は生活再建のために多忙だったにもかかわらず、父はコミュニティのプロジェクトや集まりに率先して参加していました。そのような姿は私たちの中に浸透し、いつの間にかボランティア精神が吹き込まれていました。リトルトーキョーがボランティア精神を育んだのです。


アーカンソー州 ブロックのまとめ役 ブリティッシュコロンビア州 バーナビー カリフォルニア州 カナダ コミュニティ 強制収容所 日本文化センター博物館 ローワー強制収容所 ツールレイク強制収容所 アメリカ合衆国 ボランティア 活動 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2015年2月3日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ、ジャニス・タナカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジョージ・ホサト・タケイ氏は、日系一世の父、タケクマ・ノーマン・タケイと二世の母、フミコ・エミリー・ナカムラのもと、1937年にロサンゼルスで生まれました。日本による真珠湾攻撃直後、彼がまだ5歳だった頃、タケイ家は12万の日系アメリカ人と共に米国政府から一斉に検挙され、強制収容所に収容されました。

タケイ氏は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で演劇を学び、学士号と修士号を取得し、舞台、テレビ、映画俳優として順調なスタートを切りました。1966年には当時画期的だったテレビドラマ、『スタートレック(宇宙大戦争)』でヒカル・スールー(訳注:日本語吹き替え版ではヒカル・カトウ)大尉役に配役されました。

俳優としてのキャリアに加え、タケイ氏は、社会奉仕活動やコミュニティボランティア活動に積極的に参加しています。南カリフォルニア高速輸送地区(Southern California Rapid Transit District)の評議委員を務め、全米日系人博物館の立ち上げの際には創設より深く関わり、運営委員として精力的に活動し、惜しみない貢献を続けています。

タケイ氏は2005年に同性愛者としてカミングアウトし、LGBT1権利の提唱者として影響力を持ち、自身の体験を広く人々に語り、有名人が同性愛者に対し差別的な発言をした時はその責任を追及し、ヒューマン・ライツ・キャンペーン2のスポークスパーソンも務めています。ジョージのフェイスブックの思わず笑いがこみあげてくるユーモアや温かさは彼の人気に再び火をつけ、フェイスブックのフォロワー数を800万人に伸ばしました。

(2015年5月更新)

 

注1. LGBTとは、レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(心と体の性の不一致)の頭文字をとった総称で、性的少数者を指す言葉。

注2. LGBTの社会的平等化を推進するアメリカの人権団体

フランク・ヤマサキ

ほこりだらけのミニドカ収容所の記憶(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

パット・アダチ

スロカン日系カナダ人収容所での家族生活(英語)

第2次大戦中の収容経験あり。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー(1920年生)

キミ・ワカバヤシ

移住初期のカナダでの生活 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

ポール・テラサキ

年代による収容所に対する印象の違い(英語)

組織移植・臓器移植の分野においての医療研究の第一人者。(1929年生)

ジョージ・アズマノ

オレゴン州ポートランドのダウンタウン(英語)

アズマノトラベル創設者

キップ・フルベック

ハパ・プロジェクトで学んだこと (英語)

映画製作者・アーティスト(1965年生)

アルフレド・カトウ

日系コミュニティーにとってのペルー新報(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

ジョージ・カツミ・ユザワ

1942年10月の妹の死(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ビル・ハシズメ

ミッション市の日本人コミュニティ(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

エリック・ナカムラ

父からではなく歴史の本を通して学んだ収容所(英語)

『ジャイアント・ロボット』の創設者・出版社社長

エリック・ナカムラ

マンザナー収容所でのスケボー体験(英語)

『ジャイアント・ロボット』の創設者・出版社社長

マイク・シノダ

日系人収容所に対する家族の見識(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

マサオ・コダニ

強制収容所での思い出(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

PJ・ヒラバヤシ

自己表現としての太鼓(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

PJ・ヒラバヤシ

イギリスの太鼓グループ:グローバル太鼓コミュニティの形成(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督