ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1138/

捕虜交換船で日本へ帰国

天野は、その戦争が始まった直後に、パナマに家を構えてましてね。そして、パナマの自分の自宅からパナマ運河が一望できるんですよ。ですから、そこからよく写真を撮ってましたので、もうその当時日米開戦というのは避けられないということで、緊迫した状況にありましたので、当然パナマにいて、パナマ運河を一望に見回せるところに京を構えて、ま、派手な生活をしてる天野は、当然アメリカの監視の対象、監視下にありまして。で、戦争が始まると同時に、捕まってしまうんですね。 そして、アメリカに送られ、で、アメリカから一番最初の捕虜交換船が出るときに、あれはマダガスカル*(注:実際の捕虜交換はシンガポールで行われた)ですかね。日本にいたアメリカ人と米国にいる日本人、これがあの確かマダガスカルか何かで、捕虜交換船で交換して、そして、あのお互いに戻るわけですけども。その一回目の捕虜交換船に、天野も乗船することができて、日本へ着の身着のままで帰ってくるんですね。


交換船 世代 移民 移住 (immigration) 一世 日本 移住 (migration) グリップスホルム号 パナマ 第二次世界大戦 天野芳太郎

日付: 2007年5月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1948年生まれ。東京出身。早稲田大学教育学部卒業。数年後、ペルーリマ市へ移住。スペイン語を学ぶかたわら、天野博物館を創設・経営していた祖父の天野芳太郎氏の仕事を手伝う。その後、日系ペルー人2世と結婚。現在は、ペルーの文化研究家、土器・織物の収集・研究家、天野博物館の事務局長として発掘作業、博物館の運営に携わる。また、ペルーの民間外交官として、政府要人、経済人、マスコミ取材、TV番組制作などのアテンドも行っている。年に数回は日本を訪れ、全国各地で講演やパネルディスカッションを行うなど、広い分野において活動を行っている。(2007年5月)

ウィリー・イトウ

トパーズでブローチを作る父(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

二宮 正人

戦時中に厳しく規制された外国語教育

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)