ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1113/

捕虜交換船で強制帰国させられた天野芳太郎

戦前には、天野はパナマで貿易やってたんですね。…それで、パナマで、貿易がうまくいった時には、エクアドル、あ、コスタリカまでに、コスタリカ、エクアドル。それから、ペルーにもちょっとお知り合いがいて、それからリマ通り越して、チリのコンセプションに土地を買って、大きな農場を始めたんですね。はい。

I*: これはいつ?

これは戦前。戦争が始まるまで。それで、あの何かアメリカと日本の、何て言いますか、関係って言うんでしょうか・・・あまりおもしろくなくなってきた時に、天野、早速前の家族ですね。前の家内と子ども2人を日本に返して、そして、あの、彼はまだパナマに残っているうちに、やっぱり、何て言いますか・・・探偵のアメリカの探偵さんたちに捕らわれて、全部、えっーと、何て言うんでしょう。えーーー(笑)。牢屋に入れられて、それからアメリカに送られて、ずっと、1年近くいて、で、第一交換船で日本に帰っていったんですね。

*I はインタビュワー(アン・カネコ)


交換船 世代 移民 移住 (immigration) 一世 日本 移住 (migration) グリップスホルム号 第二次世界大戦 天野芳太郎

日付: 2007年4月18日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

天野美代子(旧姓:渡辺)はリマ市生まれの日系二世。1954年、実業家・アンデス文明研究家の天野芳太郎氏と結婚。1964年5月には、故夫芳太郎氏とともに、リマ市ミラフローレス区レティロ街に天野博物館を竣工し、8月に開館。現在は、故夫の意思を引き継ぎ、芳太郎氏の私蔵をもって設立され、チャンカイ文化の研究で知られる天野博物館の館長を務める。 (2009年10月)

二宮 正人

戦時中に厳しく規制された外国語教育

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)