第3回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト
リトル東京歴史協会主催の第3回ショートストーリー・コンテストは、リトル東京のコミュニティにまつわるより独創性の高いストーリーと共に幕を閉じました。前年同様に英語部門、日本語部門、青少年部門から最優秀作品が選ばれ、各部門の受賞者には賞金が贈られました。今年は、第二次大戦後に創業したリトル東京のギフトショップ、文化堂より、特別に創業70周年記念のご寄付を頂きました。
最優秀作品
- 日本語部門:「お盆と町とお祖父ちゃん」 シャーリー・ワタナベ・ニシダ
- 英語部門:「最後の碁の名人」 ジョー・ウォコスキ
- 青少年部門:“Kimiko With Hidden Worlds” サレナ・クーン [英語のみ]
準優秀作品
- 日本語部門:
- “Father & Daughter and Little Tokyo” アキラ・ツルカメ
- “Fusion City” タキコ・モリモト
- 英語部門: “Merry Christmas Mario-san” ルーベン・ゲバラ [英語のみ]
- 青少年部門: “Home is Little Tokyo” ユリコ・チャベス
* その他のイマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテストもご覧ください:
第1回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト (英語のみ)>>
第2回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第4回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第5回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第6回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第7回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第8回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第9回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第10回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
このシリーズのストーリー
故郷はリトル東京
2017年8月23日 • ユリコ・チャベス
年: 2082タケオにとって、ロサンゼルスの街に繰り出すのは、かなり珍しい行動だった。この老人は控えめで寡黙で、数人と世間話をするだけだった。普段は家にいて、絵を描いたり本を読んだりしていた。しかし、今日は違った気分だった。まるで運命の糸が彼を必要な場所へと引っ張っているかのように、リトルトーキョーに行く必要があると感じた。タケオは運命を固く信じていた。幼いころから、自分とソウルメイトは運命の赤い糸で結ばれているという神話を信じていた。偶然や偶然など存在しないと信じていた。…
「メリークリスマス、マリオさん」
2016年10月3日 • ルーベン・ゲバラ
リトル東京、1989年ある晩、ボイル ハイツ出身の売れないミュージシャン、マリオ マルティネスがリトル トーキョーのアトミック カフェのブースに座っていたところ、パンクの神様、シド ヴィシャスが取り巻きを連れて入ってきて、チャーハンを注文しました。突然、おにぎりが宙を舞い上がりましたが、誰も気にも留めず、気付かなかったようです。このような狂気は珍しいことではありませんでした。X、ザ バッグス、ラモーンズなどの他のパンク バンドもやって来て、デヴィッド ボウイや前衛芸術家のア…
お盆と町とお祖父ちゃん
2016年9月26日 • シャーリー・ワタナベ=ニシダ
土曜日の朝、僕は珍しく自分で起きた。ママは 「あら、珍しい」 と言って僕に出掛ける準備をさせた。僕は車を運転しているママに 「何処に行くの?」 と聞いた。 「何言ってるの?今日は幼稚園のお盆の日でお手伝いするって言ったでしょう?」 そうだ、今日は僕の通う東本願寺のお盆の日だ。後でベイクセールでカップケーキ買って貰おう。少し楽しみになった。 幼稚園に着いたママと僕は、すぐに手伝う教室に向かった。教室はいつもと違って椅子も机も無い。結構広いなと思った。教室の中心に…
隠された世界を持つ久美子
2016年9月19日 • サレナ・クーン
彼は、午後 5 時から正午までの太陽の光に目を細めながら、ジャパニーズ ビレッジ プラザをゆっくりと散策した。週末の喧騒は去り、リトル トーキョーの火曜日の朝にしか感じられない静かな雰囲気が漂っていた。焼きたての今川焼きの匂いを嗅ぐと、彼は財布の周りで指を躍らせ、優柔不断になった。いいえ、私がここに来たのは一つの理由があるんです。安心した彼は、自信満々に市場のドアを通り抜け、買い物のプロのような手際の良さで、見慣れた棚にまっすぐ向かった。彼は周囲をじっと探したが、何も見つか…
最後の碁の名人
2016年9月12日 • ジョー・ウォコスキ
これは、羅府新報の最終版に載った記事である。 「最後の碁の名人、カズキ・ツクヨミは、2185年8月11日の皆既月食を待っていたかのように、同夜、リトル東京の最後の残骸と共に静かに世を去った。享年124歳であった。この日20年にも亘った全米日系人博物館をめぐる法的争いは終った。博物館は、リトル東京の日本人にとって最後の聖なる文化的アイコンだった。悲しいことに、ツクヨミ氏の死後数日後には、自動式ドローンの新しい格納ポートを作るために、博物館の展示品はすべて撤去され、博物館…