ハワイ生まれの日系アメリカ人2世の女性が、戦争を挟んで苦難の人生を生き抜く姿を描いた、ジュリエット・S・コーノ作の小説『暗愁』。10年をかけてその翻訳を手掛け、昨年末出版にこぎつけたアメリカ文学研究家の前田一平氏に、作品の魅力や日系文学などについてきいた。
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拡散する日系文学
——以前、このコラムで日系オーストラリア人作家であるクリスティン・パイパー氏の『暗闇の後で』という作品を紹介しました。「日系」がテーマとなる作品は、さまざまな国の日系社会から生まれているのでしょうか。やはりアメリカで顕著なのでしょうか。
前田: 「日系」はもっと広く定義できると思っています。私は長年、教育大学に勤めてきました。仕事上、教員免許法を読むことが少なくなかったのですが、そこには学校で教える教科の免許を取得するには指定の履修科目を何単位取得しなければならないかが規定されています。英語という教科の場合、履修科目として英語学、英米文学、英語コミュニケーションなどが並んでいます。その中で、英米文学は数年前に「英語文学」に変わりました。
英語教育上、英語という言語は、イギリスやアメリカの言語としてだけではなく、異なる言語を母国語とする人たちがコミュニケーションを図るための国際共通言語であると認識されています。同様に、英語教育上の文学は、イギリス文学やアメリカ文学だけではなく、広い意味での英語圏の文学も対象とするべきでしょうということだろうと思います。
ただ、私の考えでは、村上春樹の作品だって英語文学と認識できると思っています。なぜなら、ジェイ・ルービンによって英語に翻訳されているからです。すると、村上春樹の作品も、英語文学という文脈で考えると、英語文学の中の「日系」文学と呼称することができるかもしれません。この点はこれから議論が必要でしょう。
話が大きくなってしまいましたが、日系人と呼ばれる人たちは南北アメリカ大陸や東南アジアには特に多いですから、その日系人たちの文学を含む広い意味での芸術を知ることができればいいですね。
オーストラリアにも日本人移民がいて、特にボタンの材料となる白蝶貝の採取に多くの日本人が雇われました。それを司馬遼太郎が『木曜島の夜会』で描いています。いわゆるオーストラリア文学も日本でそこそこ翻訳されていますので、日系オーストラリア文学も日本で紹介されれば、両者のケミストリーでオーストラリアにも日系「英語文学」を認識できるかもしれませんね。
私は勉強不足で具体的なお話はできませんけど。ただ、日系人の多さ、国の大きさと影響力、発信力の強さ、英語という言語、それに文学部英文科という窓口があることなど、日本人の関心がまずは日系アメリカ人に向くのは当然でしょう。特に、強制収容という研究・創作のための重大なテーマがありますので。しかも、日系アメリカ文学には『ノーノ—・ボーイ』やモニカ・ソネの半自叙伝『二世の娘』あるいはヒサエ・ヤマモトの短編小説など、非常にすぐれた魅力的な作品が多いですから。
——「日系」の定義は、むずかしく曖昧だと思います。「日系文学」というジャンルがあるとすれば、どのようなものがそう呼ばれているのでしょうか。
前田: たしかに、難しいし、日系というジャンル化は様々な角度からすることができると思います。極端な話をすれば、近い将来、いろんな分野で日系という概念は希薄になっていくかもしれません。結婚など異なる人種民族間の交わりが進行する中で、「純粋」に日系という対象者は減少するでしょうし、そうなると日系という概念も変化するでしょう。
先ほど教員免許法の「英語文学」についてお話ししましたように、単に日本人移民およびその子孫が創作した文学という一元的なジャンル規定ではなく、定義が拡散し希薄になっていくのではないでしょうか。世界の英語文学の中で、先ほど紹介した村上春樹の英訳作品も日系と呼ばれる時が来るかもしれません。日系のグローバル化という言い方も可能かもしれません。
最近、『アジア系トランスボーダー文学』という論集が出版されました。民族・国家意識や英語中心主義という伝統的な枠組みを、あるいは欧米中心のグローバリズムを超えてアジア系文学を捉えなおそうという研究です。国家や民族・人種の境界(ボーダー)が相対的になるということでしょう。ですから、伝統的な意味での日系文学というジャンルの枠が拡散し希薄化するという私の考えは、あながち的外れではないのかもしれません。
——コーノ氏はハワイで生まれ育ち、ハワイ在住の作家として活躍していますが、ハワイの日系の文学というものはあるのでしょうか。
前田: そもそもハワイ文学という認識そのものが最近のことではないでしょうか。しかも、研究者レベルで。私の師匠、ワシントン大学の教授だったスティーブ・スミダは著書『And the View from the Shore: Literay Traditions of Hawai‘i』(2014年)などで、ハワイ文学およびハワイ日系文学を紹介し論じています。彼はパイオニアのひとりではないかと思います。
ハワイ日系人の文学作家として代表者をひとり挙げるとすれば、マウイ島出身で小説『All I Asking for Is My Body』などの作者として知られるミルトン・ムラヤマがいます。そのほか、ハワイの日系人による文学作品は少なくありません。
大事なのは、ハワイからの発信と日本での受容がケミストリーをおこして、日本でハワイ文学およびハワイ日系文学の存在が認識されることでしょう。そのために、まずは日本で翻訳出版され、その存在が一般読者に知られることが大切だと思います。私の『暗愁』翻訳には、そのような思いもありました。ミルトン・ムラヤマの作品も翻訳が待たれます。
——アメリカやカナダでの戦時中の日本人・日系人の収容にかかわる作品はいくつも書かれています。これらは、移民や日系アメリカ人問題など社会的な観点からの批評が先に立ち、文学としての評価がともするとあとになっていると感じられます。この点についてのご意見を聞かせてください。
前田: アメリカの大学で人種的少数者の歴史研究が組織化およびカリキュラム化されたのが1960年代の主として西海岸の大学だったと思います。私が学んだシアトルのワシントン大学には「アメリカン・エスニック・スタディーズ」という学科があり、アフリカ系、アジア系、チカーノ(ナ)、ヒスパニック系、ネイティブ・アメリカン、太平洋諸島系の研究教育がなされていました。
スティーブ・スミダをはじめとして、日系アメリカ人の歴史や文学の研究教育はこの学科でなされています。白人中心の歴史観から、少数派の歴史や社会や文化へと多様化したのですから、まずは歴史・社会・文化の研究教育が先行するのは当然のことです。人種的マイノリティの文学を適切に読むためには、そのような歴史・社会・文化の勉強が欠かせません。『ノーノ—・ボーイ』も日系アメリカ人に関する基本的知識がなければ、理解するのは難しいのではないでしょうか。
ただ、たとえば日系二世を主人公とした物語を読むのに、人種的差別や劣等感、白人社会への同化願望、強制収容、戦争花嫁、一世と二世間の軋轢など、社会的観点からの読みは、日系文学を社会・文化的レベルに均一化してしまうのではないでしょうか。文学は国家や民族や社会の一員としての人物を描くので、上記のような用語では均一化できないひとりの人間の個人的な思考・感情・感覚を描くものだと私は思っています。ですから、文学作品を社会学や歴史学に還元してしまうのはいかがでしょうか。
文学作品を評価する場合は、最終的にはひとりの人間の個人的物語として差異化して欲しいし、しなければならないと思います。誤解を恐れずに言うと、現代の文学研究は、文学作品を歴史・社会研究の資料とみなす傾向があるように思われます。そのような研究では『ノーノー・ボーイ』の主人公イチローの個人的苦悩は対象外かもしれません。
続く >>
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