「日本について知らない」日本人
2023年10月、在ロサンゼルス日本国総領事公邸で開催されたCalifornia – Japan Sister Cities Networkによるワークショップに、ロサンゼルス名古屋姉妹都市委員会のメンバーとして参加した際に、日本の姉妹都市との交流に取り組んでいるカリフォルニアのさまざまな市の人々に会う機会に恵まれた。そして、これらの姉妹都市の組織間交流を促進する役割のCalifornia – Japan Sister Cities Networkのプレジデント、水谷めぐみさんとも初めて会い、彼女がどうしてこのような姉妹都市組織を立ち上げるに至ったのか、もともと彼女は何を目的にアメリカに来たのかといったことに関心を持った結果、ワークショップから3カ月が経過した週末、北カリフォルニアのセバストポールに拠点を置くめぐみさんに、オンラインで話を聞くことができた。
めぐみさんは東京生まれの東京育ち、日本の大学を卒業して外資系の金融会社に就職した後に、ニューヨークの本店で研修を受ける目的で1990年代の初めに渡米、そのままアメリカに残り、30年以上が経過したと語る。渡米当初のアメリカ、特にニューヨークに対する印象を聞いてみた。
「驚いたのは、私のような人にもニューヨークの街角で道を聞いてくる人がいたことです。アメリカは自由な国だとは聞いていたけれど、一つの価値観では括れない、多様性に溢れた土地だということが、実際に来てみて腑に落ちました」。
1992年には大学院進学を契機に北カリフォルニアに移っためぐみさんは、大学院在学中に結婚、二人の子どもの母親になった。そして、子どもの学校でのボランティア活動からその後の人生が大きく転換していった。
「最初、子どものプリスクールで日本の文化について話してほしいと依頼されたんですね。それでクラフトを使ったりして、子どもの関心を引くように工夫したら、子どもたちが熱心に聞いてくれたことに感激したと同時に、日本に対する素朴な質問に自分が答えられないことにショックを受けました。言い換えれば、『日本の文化について深く知らない自分自身にカルチャーショックを受けた』のです。日本のお祭りについて『それってどういう意味?』と聞かれたら、その背景にある意味や歴史について答えることができない。おせち料理にしても一つ一つの料理が持つ意味も知らない。だから、日本文化を伝えるために、まず自分が勉強することが重要だということに気付かされました」。
セバストポールと武雄の姉妹都市交流
めぐみさんが今も暮らすセバストポールは、日本に関心を持つ人々が多い親日的なコミュニティーだという。
「日系人のコミュニティー活動も活発です。私は日本人であって日系人ではないけれど、日系二世である子どもたちのためにも、セバストポールの日系コミュニティーに参加することにしました。そこでまず、2004年に地元の日系人、日本人、日本に関心があるアメリカ人の子どもたちに、日本の文化について教え、体験してもらうカルチャーキャンプをスタートさせました。心掛けたのは、その根っこにどういう意味があるかということをきちんと説明することでした。毎年夏に30人から40人の子どもたちを集めて10年間開催していたので、のべで400人ほど、日本文化のファンを育てたと自負しています」。
そして、カルチャーキャンプや日本の祭りの開催の延長線上には、姉妹都市交流が待ち受けていた。
「セバストポールはウクライナのチヒリン市と日本の佐賀県武雄市と姉妹都市を提携しています。私の息子の友達がその姉妹都市交流で武雄市に行った際、その子のお母さんからお礼状を日本語に訳してほしいと頼まれたことがありました。その手紙を読んだところ、子どもが姉妹都市の家庭に滞在しただけでこんなに深い友情が生まれるのかということに感銘を受けて、武雄市との姉妹都市交流の運営に携わるようになりました。そして、姉妹都市活動を通じて、その交流に関わる一人ひとりが市民外交官という重要な役割を担っているのだということを実感するに至りました。異なる文化を持つ国の家庭に滞在することで、その国に自分の家族ができるのです。誰だって自分の家族がいる国と戦うことは望まないはずです」。
一見、姉妹都市交流と世界平和は遠い存在のように見えるかもしれない。しかし、地道ながらも実は確実な方法なのだと強調するめぐみさんに筆者は深く共感した。
自分が動けば世の中は変えられる
さらに、めぐみさんはセバストポールの人々と日系人の関係性について過去のエピソードを紹介してくれた。
「第二次大戦中、約12万人の日系人たちが強制収容所に送り込まれました。彼らのほとんどは戦後自分の家に戻ることができなかったのですが、セバストポールの日系人は、留守の間も彼らの畑や家を地元の人々が守ってくれていたおかげで、収容所を出た後も、またセバストポールに戻ってくることができたと聞いています。私はその歴史から、異文化交流ムーブメントのずっと前から私の地元で名もなき市民が果たしていた役割、そして人と人との繋がりが生み出す力を学びました。その学びがあったので、あのような戦争が起こらないように一市民の私にもできることは何かを模索する中で、市民外交を通じた平和活動という姉妹都市の概念に強く惹かれたのです。
日米関係が良好で、私の子どもたちが好きな時に自由に日本に行ったり、アメリカに戻ってきたりと行き来することができる、そういう世の中が続いてほしいと、私は願っています。だからこそ、自分が姉妹都市活動に携わることで市民外交を促進し、さらには世界平和につなげていきたいと思い、それをライフゴール(人生の目標)に定めました」。
こうして、めぐみさんを含む北カリフォルニアの5人が発起人となって立ち上げたのが、前出のCalifornia – Japan Sister Cities Networkだ。同組織は、2018年にサンフランシスコの日本総領事館に働きかけた後に、南カリフォルニアのロサンゼルス日本国総領事館のサポートも得て、2024年現在、カリフォルニアと日本の間の姉妹都市組織をつなぐワークショップの活動を主に展開している。
「コロナ禍にオンラインでワークショップを開催することで、カリフォルニア中の姉妹都市関係者が集まることができただけでなく、カウンターパートの日本側の姉妹都市の人々も参加することができました。メンバー制ではないので、参加したい方がイベントごとに参加することができます」。ワークショップでは、姉妹都市活動における募金活動や継承者問題などの課題やその解決策について話し合い、情報を活発に交換している。
しかも、驚かされるのは、この活動を全てボランティア、つまり無償で行っているということだ。実はめぐみさんは、医療用の特別食に関わる非営利団体の職員というフルタイムの仕事も持っている。California – Japan Sister Cities Networkの活動とフルタイムの仕事に取り組み、時間が足りないだろうことは容易に想像がつくが、それでも続けることができるのは「日本にいた時は『こうなったらいいのに』と夢のように思うことはあっても行動に移すことは考えられませんでした。でも、アメリカでは自分が動くことで世の中は変えられるということを経験から実感したからなのです」と話す。そして最後に「めぐみさんは何人ですか?」と聞くと、次のように答えた。「アメリカに30年以上住んで、今もまだ日本のことを学び続けている日本人です」。
ウェブサイト: California – Japan Sister Cities Network
© 2024 Keiko Fukuda