結婚で渡米、夫との死別、派遣職から社長に登りつめる
ロサンゼルスの人なら、「照子は人が大好きです」のフレーズで締めくくられるテレビコマーシャルを覚えているのではないだろうか。このコマーシャルに自ら出演していた照子・ワインバーグさんは人材会社の経営者に留まらず、ロサンゼルス名古屋姉妹都市委員会の委員長の他、日米協会の理事などボランティア組織での活躍ぶりでも知られている。
照子さんは愛知県一宮市の出身。東京で働いていた時に出会ったアメリカ人のワインバーグさんと結婚することになり、1978年、ロサンゼルスに渡ってきた。それ以前にも、ユタ州への短期留学の経験があり、アメリカにいつか住みたいという希望は持っていたそうだ。
しかし、結婚して4年後、夫を病気で亡くしてしまう。アメリカに残された彼女は帰国せず、この国で生きていこうと決断する。それは「両親がアメリカに快く送り出してくれたのだから、その気持ちに報いるためにも、この国で何かを成し遂げたいと思った」からだと語る。それまで専業主婦だったが、早速、就活を開始。しかし、アメリカで働いたことがない求職者には厳しい状況だった。
長い就活の末、入社したのは、当時、アメリカに進出をしたばかりの日本の人材会社だった。そこで派遣のスタッフとして雇われ、やがて正社員となり、途中で現地採用から駐在員待遇に切り替わり、さらには、大きく成長したアメリカ法人の代表にまで登りつめた。一つのサクセスストーリーだ。
筆者が照子さんに初めて会ったのは1993年、彼女がその日系大手企業米国法人の社長だった頃。取材で会社を訪れた私の前に、ビビッドな花柄のスカート姿の照子さんが現れたことを今でも覚えている。人は第一印象で決まる、と言われるが、私にとっての照子さんの第一印象は「花柄スカートの快活な女性社長」、基本的にそのイメージは25年以上経った今でも変わっていない。
しかし、その後、転機が訪れる。彼女はそのまま会社に残ることなく、1994年に自らの名前を冠したテルコ・ワインバーグ・インクという人材会社を起こして独立したのだ。大きなチャレンジだった。
知名度が低い名古屋の存在をアメリカ人に知らせたい
照子さんが独立後に始めた人材会社は、今年、設立25周年を迎える。前述のように、1993年に照子さんと知り合った私は、当時勤めていたロサンゼルスの日本語メディアを通じて、照子さんが起こした新しい会社の広告を担当するようになった。そして2003年、今度は私がメディアを退職。2人目の子供が生まれたばかりだったこともあり、休眠モードに入っていた頃、照子さんが電話してきた。「じっとしていたらダメ。育児するからと言っても、子供の手が離れたらどうするつもり?その時からまたスタートできるの?少しでも社会に向けた窓を開けておきなさい。まずは私に会いに来てちょうだい」と声をかけてくれたことがきっかけになり、私はフリーライターとしての道を歩きはじめた。社会への窓を開けておく、というよりも、むしろ照子さんに窓をこじ開けられたような格好だった。しかし、そのことに私は今でも深く感謝している。そして、照子さんが「アメリカで活躍する女性」として、様々な団体や大学で講演をするたびに同行する機会をもらうようになった。
UCLAの日本語学科でも特別講義を行った。学生たちの多くが、アニメや漫画といった文化を通じて、日本に強い憧れを持っていた。そして照子さんが彼らに送ったメッセージは次のようなものだった。「日本が好き、憧れているからと、インターネットで検索してその中に浸るだけでなく、実際に日本に足を運びましょう。そしてリアルな日本人の友達を作ってください。いくらネット社会になったからと言っても、バーチャル社会はリアルな社会には勝てません」。さらに、照子さんがよく言うのが「いくら頭の中にいいアイデアがあっても、それを現実に行動に起こして形にしなければ意味はない」ということ。
また、印象的なのが非日系のイベントに取材に行くと、そこで照子さんと会うことが多いということだ。他に日本人が見当たらないような場所にも彼女は積極的に単独で出かけて行く。そして、そのような場所だからこそ、自分にはチャンスなのだと断言する。群れることはない。
彼女が委員長を務めるロサンゼルス名古屋姉妹都市委員会は、ここ数年で、画期的なプログラムやイベントを実施してきた。2014年にはロサンゼルス随一の人気ショッピングモール、ザ・グローブで「名古屋デー」を開催。数万人の来場者に名古屋飯を振るまい、名古屋の観光情報やエンターテインメントを披露した。
この活動の裏には「東京オリンピックが目前に迫っているのに、アメリカ人にとっての名古屋の知名度は非常に低い。新幹線でも東京から京都に移動する間の通過駅にしか思われていない。アメリカ人に名古屋を知らしめたい」という照子さんの熱い志がある。
気持ちは熱く、率直な言動、そして言葉にしたからにはすぐに動く実行力。ロサンゼルスで働く日本人女性の中には「照子さん、引退しないでください。照子さんが頑張っている姿を見ると私も頑張れる」と思っている人が少なくないはず。私もその一人だ。
© 2019 Keiko Fukuda