2013年7月に開催予定の「世界若者ウチナーンチュ大会」のアメリカ側準備局のキーマンの一人、山内浩さんはロサンゼルス生まれの二世。インタビューの約束を取り付けようと何度か連絡を試みたが、タックスシーズンの最中、公認会計士として働く彼は大忙しの様子だった。「ごめんなさい、電話します」とメールが届くが、なかなかその電話は来ない。しかし、返事だけはしてくれた律儀さに、じっと彼の折り返しを待った。
そして、ある日曜の午後、北米沖縄県人会のオフィスでやっと会えることになった。彼がいると言われた場所に行くと、イベントの片付けに取りかかっていた浩さんは、一心に大きな鍋を洗っていた。仕事で多忙にもかかわらず、県人会の活動にも汗を流す姿に少なからず感銘を受けた後、インタビューが始まった。
「県人会とはいつかかわっていたか?子供の頃から県人会のピクニックや運動会には沖縄出身の親が連れてきてくれたものです。また、妹の琉球舞踊の練習が終わるのを僕は県人会館でいつも待っていました。ただし、その時は、自分自身が今のように積極的に携わるとは思ってもいませんでした」
しかし、転機は高校生の時に訪れた。「自分はずっとアメリカ人だと思って育ちました。しかし、鏡に映る自分は日本人。そしてルーツは沖縄にあるのです。そのルーツを大切に生きていかなければと、鏡を見ながらそう思いました」
ブラジルの沖縄県人会を訪ねたこともある。「県人会館の庭の池に浮かぶ葉は、何と沖縄の地形を表現していました」。ブラジルの沖縄系日系人がポルトガル同様に日本語も流暢に話していたことにも浩さんにとって印象的だった。
「僕が英語しか話せなかったら、彼らとはコミュニケーションを交わすことはできませんでした。でも、僕も沖縄出身の親から受け継いで日本語を話すことができます。共通の言葉が、違う国のウチナーンチュ同士をつないでくれました」
もっと自信を持つべき
現在35歳の浩さんは、過去15年間にわたり、若者同士のネットワーク作りに力を注いできた。アメリカ生まれの新世代同士のつながりだけでなく、沖縄から留学生として渡米してくる若者たちにも、彼は積極的に手を差し伸べた。留学生たちこそ、沖縄とアメリカをつないでくれる存在だ。彼らがアメリカ生活に慣れて充実した留学経験を持って沖縄に戻れば、きっと将来的に互いの関係性にとってプラスに働くはずだ。前回登場した山内優子さんが、沖縄に6年間滞在した後、アメリカに戻り、今は沖縄との橋渡しを果たしていることの逆パターンである。
そういった将来的な確信を視野に、浩さんは沖縄からの留学生に情報を提供したりアドバイスしたりしてきたのだ。
さらに、彼らとの交流を通じて、ある懸念も生まれたと打ち明ける。
「彼らにはもっと自信をもってほしいと思います。どこか自信が感じられず、挑戦を恐れているようにも見えますね。若者に限らず、沖縄にはいい商品があるのにそれを海外に対して売り込む際も消極的。また沖縄は日本本土よりも恵まれた地の利を活かすべきです。韓国や中国、台湾、フィリピンにも近く、ロケーションとしても大きなチャンスがあります。沖縄の若者たちの自覚を促し、沖縄の将来を彼らに変えてほしいと強く願っています」
沖縄はもっと自信を持つべきだという浩さんの思いは、アメリカで活躍している沖縄出身の先人の実績に根ざすものでもある。たとえば、アメリカ全土に豆腐を広めたヒノイチ豆腐の創始者、故山内昌安さん。北米沖縄県人会が所有する3棟の建物のうち1棟を寄付した人物でもある。浩さんは、また、ロサンゼルス近辺で寿司レストランと居酒屋を展開しているカツヤグループの代表、現役のシェフでもある上地勝也さんの名も挙げた。
そして、先人の足跡をお手本に、浩さんはこれからもずっと、多忙な本職の傍ら、県人会の活動に積極的に関わっていくのだろう。まずは7月の若者大会の成功が使命だ。既に準備は大詰めを迎えている。
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2013年世界若者ウチナーンチュ大会
2013年7月18-21日
Torrance, California, U.S.A.
詳しくはこちら: http://wyuausa.wordpress.com/
© 2013 Keiko Fukuda