ディスカバー・ニッケイ

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国家への忠義に関する質問 (英語)

(英語) 「国家への忠義に関する質問」のことを初めて聞いた時、質問に回答しなかった場合、1万ドルの罰金か10年の懲役、それかその両方が課されるだろうという話でした。後で知ったことですが、それはすべて嘘で、真実ではありませんでした。その中に、物議をかもしていた質問が2項目ありました。項目27は、最も危険な前線における戦闘に、それがいかなる場所であっても参加するかというものでした。そしてその次の質問(項目28)は、合衆国に忠誠を誓うか、そして日本の天皇を拒否することを誓うか、というものでした。

私は、両方とも馬鹿げた質問だと感じました。私たちが置かれた状況を考えると、そう思わずにはいられませんでした。それで私は、「現時点における実情と状況においては、これらの質問に回答することはできません。」と答えました。次の項目28に関しては、私はただ「No.」と回答しました。あ、そうではなかったですね。項目27と同じように、現在の状況を踏まえると質問に答えることはできない、と答えました。なぜならその時私たちは逮捕されていたのです。


公民権 ロイヤルティアンケート 第二次世界大戦

日付: 2006年5月9日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: リサ・イタガキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

フランク・エミ氏は、1916年9月23日、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれました。彼が家族と共に営んできたビジネスは、戦争により廃業に追い込まれ、エミ氏と妻、2人の子供はハートマウンテン強制収容所に送られました。

エミ氏は、多くの人々と共に日系アメリカ人強制収容の合憲性について声高に問いました。また、ハートマウンテン公平委員会の立ち上げに貢献し、徴兵拒否運動を起こし、政府が日系人に対して取った措置に抗議しました。当時、エミ氏には子供がいたため、徴兵対象者ではありませんでした。

公平委員会は、日系人がアメリカ市民権を取り戻し、家族が収容所から解放されれば、喜んで兵役を受け入れると論じました。合衆国政府は、エミ氏と他6名のリーダーを徴兵忌避の共謀罪で訴えました。エミ氏は、18か月投獄され、他86人は裁判を経て徴兵拒否の罪で投獄されました。

戦後、エミ氏や他の徴兵拒否者は、日系人リーダーや退役軍人からつまはじきにされていました。その扱いは、戦後40年経ち、賠償運動が高まり、不正に対して毅然と立ち向かった公平委員会への汚名が晴らされるまで続きました。

フランク・エミ氏は、2010年12月、94歳で亡くなりました。(2010年12月)

ジミー・ムラカミ

初めての映画(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

ジミー・ムラカミ

カモメ取り(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

上杉 武夫

ニューヨークで学んだ後、日本に帰国(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

ウィリー・イトウ

楽天的だった父(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

ウィリー・イトウ

タンフォラン集合センター(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

ウィリー・イトウ

トパーズでブローチを作る父(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

トム・ユキ

憲法に守られることを信じていた父(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

ミツエ・ヤマダ

「ノーーノー・ボーイ」となった兄の理由(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

二宮 正人

戦時中に厳しく規制された外国語教育

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)