ディスカバー・ニッケイ

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真珠湾攻撃の記憶 (英語)

(英語) 私が住んでいたのは真珠湾から約15マイル離れたところでしたが、上空の様子や、煙や炎が立ち上がるところを見ることができたんです。

I*:その時あなたは家に居たのですか?

ええ、そうです。その日は日曜日で、私たち一家は毎週日曜日の日課で、いつものように教会へ行く準備をしていました。私の母は大変敬虔なメソジストでした。教会へ行く時は、常にネクタイを着用していたのですが、その時も私はちょうどネクタイを着けるところでした。ネクタイは私にとって象徴的なものなので、覚えているんですよ。私がネクタイを身に着けるのは、葬式や結婚式、そして教会に行く時だけで、それ以外に着けることはありませんでした。それから靴についても同じで、学校にも裸足で行っていたんです。でも12月7日以降、それも変わり、私は毎日靴を履くようになりました。そしてそれは大きな変化の1つでした。私にとっては重大な変化でしたね。他の人にとっては取るに足らないことかもしれませんが、私にとっては重要な意味を持っていました。

その時、ラジオから音楽が流れていたのですが、突然ディスクジョッキーの声が割り込んできて音楽を止め、「これは現実です。本当に起っているのです。演習ではありません。」と、かん高い声で言ったんです。私は、「この人はいったい何を言っているんだろう。」と思いました。すると彼は、「日本人が真珠湾を攻撃している。日本人が…爆弾が落ちてきている…。」と言いました。私は父のいるとなりの部屋に行き、外に出たほうがいいと言って、2人で道路に出て、真珠湾の方を見たんです。すると、煙が上がっているのが見えたんです。そして突如飛行機が3機頭上を飛んで行ったのですが、その3機はちょうど真珠湾を爆撃して、海の方へ飛び去って行くところでした。飛行機は灰色で、日の丸が付いていました。私はすぐに、私たちみんなに何かが起るだろうと悟りました。そして今自分がいる世界は終わってしまうだろうと感じました。そして実際その時、全てが終わったのです。

* “I” はインタビュワー


ハワイ 真珠湾攻撃、ハワイ、1941年 アメリカ合衆国 第二次世界大戦

日付: 2001年5月31日

場所: 米国、カリフォルニア州

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ダニエル・K・イノウエ上院議員は、1924年9月7日ハワイ州ホノルルに生まれました。18歳で日本軍による真珠湾攻撃を目の当たりにし、アメリカ軍に志願し、日系人部隊の第442連隊戦闘団に配属されました。

「失われた大隊」の救出により、イノウエ議員は、青銅星章を受勲し、軍事少尉として戦地での指揮を任されます。イタリアでの激しい戦闘では、手榴弾の炸裂により右腕を失いました。その結果、イノウエ議員には、合衆国の勲章順位第2位であり、軍人の勇敢な行為に対して贈られる殊勲十字章が与えられました。

戦後、ハワイが米国の州となった1959年、イノウエ議員は、初のハワイ州選出の連邦下院議員となりました。その後、1962年には上院議員となり、以後6年ごとの議員選で当選してきました。民主党の議員のイノウエ氏は、日系人初の上下両院議員となりました。

2000年、ホワイトハウスは、イノウエ議員と他20名のアジア系退役軍人を招き、軍の最高位にあたる勲章を授与しました。第二次世界大戦からかなりの年月を経て、彼らの栄誉は、認められ、彼らにふさわしい名誉勲章が与えられました。

イノウエ上院議員は、2012年12月、88歳で亡くなりました。(2012年12月)

Haruo Kasahara
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笠原ハルオ

日本語とハワイ語によるハワイの耕地での伝統的な労働歌(ほれほれ節)

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

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Grayce Ritsu Kaneda Uyehara
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グレース・ウエハラ

収容所の補償運動の達成と教育(英語)

(1919 - 2014年)日系アメリカ人の強制収容所に対する補償運動や公民権運動で活躍した活動家。

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Wakako Nakamura Yamauchi
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ワカコ・ヤマウチ

真珠湾攻撃後のカリフォルニア州オーシャンサイドでの日系アメリカ人学生としての経験(英語)

アーティスト・劇作家。(1924 - 2018年)

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Frank Yamasaki
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フランク・ヤマサキ

ピュアラップ集合センターで失った青年期の能天気さ(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

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Frank Yamasaki
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フランク・ヤマサキ

ほこりだらけのミニドカ収容所の記憶(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

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Frank Yamasaki
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フランク・ヤマサキ

徴兵拒否の決意(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

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George Azumano
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ジョージ・アズマノ

真珠湾攻撃後にアメリカ軍から除隊(英語)

アズマノトラベル創設者

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George Katsumi Yuzawa
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ジョージ・カツミ・ユザワ

JACLの全米書記マイク・マサオカの1942年のスピーチへの反応(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

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George Katsumi Yuzawa
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ジョージ・カツミ・ユザワ

1942年10月の妹の死(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

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George Katsumi Yuzawa
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ジョージ・カツミ・ユザワ

戦中のニューヨーク市での最初の印象(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

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George Katsumi Yuzawa
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ジョージ・カツミ・ユザワ

真珠湾攻撃後の近所の同情(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

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Gene Akutsu
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ジーン・アクツ

徴兵反対者に対する日系コミュニティの反応(英語)

徴兵忌避者(1925年生)

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Gene Akutsu
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ジーン・アクツ

世論に影響を与えるメディアの役割(英語)

徴兵忌避者(1925年生)

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Gene Akutsu
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ジーン・アクツ

徴兵拒否により服役した刑務所での生活環境 (英語)

徴兵忌避者(1925年生)

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Gene Akutsu
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ジーン・アクツ

戦時中の徴兵拒否について子供たちへ伝えること (英語)

徴兵忌避者(1925年生)

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