https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/883/
太鼓・尺八奏者(1944生)
(英語) 緊那羅太鼓とその原点について言えば、僕らがグループとして目指したことの1つが、仏教の教えをグループの育成やメンバー同士の関わり合い、そして行動に関するルールに反映させることでした。僕らが言いたかったのは、「観客のために演奏することを最優先するのではないタイプのグループを立ち上げる」ということでした。僕は尺八の先生をよく引き合いに出しますけど、先生も同じことを言っているんです。観客のための演奏はするなと言うんですね。人のために演奏しようとすると緊張するので、自らの精神を磨くかのように演奏しなさい、という訳です。
緊那羅太鼓でもそれは同じで、自我を見つめ、自分がいかに他者と関わるべきか自問しなさいというのが僕らの考え方です。例えば、自分は怒りを感じるか、間違ったときはそれを恥ずかしく感じるか、なぜ恥ずかしいと感じるのか、それは自我から来る感情なのだろうか、ということです。そして、そうですね、それらの感情は自我から来るものです。
では、僕らは太鼓の経験から一体何を学んでいるんでしょうか?「他のみんなより上達が遅い人がいる」といった場合に、グループとしての歩調はどうすべきでしょうか?マス(マサオ・コダニ氏)が強調したのは、必ず一番遅い人に合わせるということでした。その他に僕らが習っている教えは、一人一人を尊重し、怒鳴ったり叫んだりしないということです。楽しんで演奏するように心がけることも1つですね。そしてただ演奏するんです。そう、演奏して踊るんです。マスは、常にこういう考え方をしますね。
日付: 2004年12月10日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
太鼓及び笛奏者として有名なジョージ・アベ氏は、1944年マンザナー強制収容所で生まれました。戦後家族と共にカリフォルニア州ロサンゼルスに再移住したのはアベ氏が1歳の時でした。帰米であるアベ氏の母は、カリフォルニア州オレンジ市で生まれ9歳で日本へ行き、26歳でロサンゼルスに戻りました。アベ氏の父は一世です。
アベ氏はアーティストやミュージシャンのいる環境で育ち、母親と共に琵琶のリサイタルにも参加しました。学校のバンド活動でもクラリネット、サックス、オーボエなど様々な楽器を演奏しました。アベ氏の音楽への興味はその後絶えることなく、尺八や笛といった伝統的な日本の管楽器の演奏を学びました。
アベ氏はロサンゼルスの洗心仏教寺を拠点として活動する緊那羅(きんなら)太鼓の創設メンバーの1人であり、今日に至るまでグループと活動を共にしています。緊那羅太鼓は、北アメリカで結成された最初の太鼓グループの1つであり、田中誠一先生率いるサンフランシスコ太鼓道場の次に設立された2番目のグループです。アベ氏は芸術の影響力と太鼓が人々に与える活力を確かなものとして捉え、彼自身の芸術性を文化、精神そして共同体への意識啓発に役立てています。(2004年12月10日)
バイオリンを購入
一世実業家(1900-2005)
三世の太鼓への理解
新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)
桑港囃子 - 一世の人たちへ捧げる
手作りの太鼓
太鼓哲学
太鼓を通しての日本文化の再発見
サンフランシスコ太鼓道場の太鼓奏者・獅子舞
渡米の理由
太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)
アメリカでの初めての太鼓パフォーマンス
太鼓のスタイルの違い
それぞれの太鼓グループの持つオリジナリティの重要性
アメリカに住むことの利点
太鼓コンテストを通して育まれるグループとしてのアイデンティティ
日本文化の伝統としての太鼓の音
緊那羅太鼓とサンフランシスコ太鼓道場の違い(英語)
和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)
伝統からの脱却(英語)