ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/764/

彼をアルゼンチンに留まらせたタンゴ(スペイン語)

(スペイン語)13歳の時小学校を卒業しました。その頃初めてアルゼンチンタンゴを聞きました。とても感動したよ。このような特徴ある音楽はどのような国なのだろうかって思いました。その13年後、私はアルゼンチンに来たのですが、まさか当時は本当にアルゼンチンに来るなんて思いもしませんでした。27歳の時、ペロン大統領が日本人受け入れを表明したので、私はアルゼンチンについてもっと知れるかもしれない、少なくともタンゴが聴ければいいかなと思ったんです。アメリカ大陸へ移民したいというよりも、何となく(アルゼンチンへの)好奇心ゆえにやってきたのです。で、私はアルゼンチンがとても気に入ってしまい、ここに残ったのです。でも、スペイン語がまったくできなかったので、当初はいろいろと苦労しました。


アルゼンチン 移住 (immigration) 移住 (migration) 音楽 タンゴ(音楽)

日付: 2007年2月23日

場所: アルゼンチン、ブエノスアイレス

インタビュアー: タケシ・ニシムラ、リカルド・ホカマ

提供: アルゼンチン日系センター

語り手のプロフィール

高木一臣氏は、1925年3月27日三重県で生まれ、観光客としてアルゼンチンへ渡り、そのまま現地へ留まりました。高木氏は、ジャーナリズムの職を得て、その後50年以上に渡り、ラジオやグラフィック関係の仕事をしてきました。81歳を迎えた高木氏は、様々な媒体を介した広告に取り組みながら、日本人コミュニティ新聞、『らぷらた報知』のジャーナリストとして熱心に活動を続けています。高木氏は、2014年11月10日、89歳で亡くなりました。(2021年1月)

本郷悦男

アメリカでの初めての太鼓パフォーマンス

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

本郷悦男

太鼓コンテストを通して育まれるグループとしてのアイデンティティ

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

本郷悦男

日本文化の伝統としての太鼓の音

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

ロジャー・シモムラ

渡米後の祖母の差別体験(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

条約商人としてアメリカへ入国した母(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

ローズ・クツカケ

両親がカナダへ渡航した理由(英語)

第二次大戦中にスロカンに収容。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー (1918-2004)

フレッド・ササキ

フレデリック・ヨシヒデ・ササキの家族構成(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

キミ・ワカバヤシ

見合い結婚 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

キミ・ワカバヤシ

移住初期のカナダでの生活 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

ミツオ・イトウ

渡日の決意(英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

シズコ・カドグチ

東へ移住か渡日かの選択(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

田中誠一

渡米(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

アメリカで太鼓を始めた理由(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

緊那羅太鼓との出会い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

太鼓とはっぴ(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)