ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/709/

夫の洋ラン農園を継承(英語)

(英語)主人はラン農園を持っていました。主にカポアでアンスリウム、デンドロビウムなんかを栽培していました。レイの材料のバンダ・オーキッドも栽培してました。土地は28エーカーほどありましたね。それにヒロにも7エーカーの温室園がありました。主人がなくなって、それもわたしが引き継ぎました。

それで、植物の栽培の勉強をしましたよ。それも夜にですよ。まだ、その頃は仕事をしてましたからね。それで週末にヒロの温室園に行って、みんなの仕事ぶりを見るんです。アンスリウムはいい花でしたね、ただ、ヒロでは雨が沢山降るんで、それには注意しなければなりませんでした。アンスリウムは雨に弱くて、すぐ死んでしまうんです。それが大きな問題でしたね。ヒロには上手にやっているアンスリウム農園がありましてね。彼らのところにはよく行って、アンスリウムやデンドロビウムの育て方を聞いたもんです。

でも、結局は1991年か1992年にはカポア農園は売っちゃいました。そして温室園の方も、1998年ですかね、売ってしまいましたよ。


ハワイ 園芸 育苗業者(園芸) 植物 アメリカ合衆国

日付: 2006年5月31日

場所: 米国、ハワイ州

インタビュアー: アケミ・キクムラ・ヤノ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

マーガレット・オダ博士は、ハワイ州ビッグアイランド(ハワイ島の愛称)のワイレアで生まれました。オダ博士は2世で、両親は広島からの移民でした。彼女の父は、後に副社長となったワイレア製糖工場(Wailea Milling Company)のさとうきび農園で働いていました。

オダ博士は、ミシガン州立大学で数学の修士号を取得し、1977年にはハワイ大学マノアキャンパスで教育学の博士号を取得しました。オダ博士は1951年に初めて教鞭をとり、ハワイ全土の公立の小中高等学校で教頭や校長の役職を得るに至りました。その後、博士はハワイ州教育庁の副教育長を3年間務め、1980年代にはホノルル地区の教育長を2期務めました。1990年代の後半に引退するまで、行政の立場から公立教育に従事しました。

オダ博士の教育分野での慈善活動は有名で、皇太子奨学金、ハワイ・プレパラトリ・アカデミー、ハワイ日本文化センター(Japanese Cultural Center of Hawai‘i)などの、地域に根ざした団体の評議員を務めてきました。オダ博士は過去には全米日系人博物館ハワイ諮問委員会の議長であり、現在は博物館の理事に就任しています。(2007年4月6日)

ハーブ・オオタ

『Song for Anna』(英語)

ハワイ出身のウクレレ奏者(1934年生)

ハーブ・オオタ

日本での演奏(英語)

ハワイ出身のウクレレ奏者(1934年生)

ジミー・コウ・フクハラ

家族経営の種苗会社(英語)

日系二世、連合国軍占領下の日本に駐留した退役軍人(1921年生)

ジミー・コウ・フクハラ

除隊と種苗業の再開(英語)

日系二世、連合国軍占領下の日本に駐留した退役軍人(1921年生)

ロバート・T・フジオカ

アメリカ軍に捕らえられた祖父(英語)

ハワイ生まれの元銀行幹部職員(1952年生)

ロバート・T・フジオカ

日系人としてハワイで育つ(英語)

ハワイ生まれの元銀行幹部職員(1952年生)